2020年02月29日

振り向けば103

大阪合運の会議のため出かけました。
地下鉄六地蔵駅から京阪六地蔵駅へ向けて、山科川沿いの堤防土手道を歩いていたら、電車の音がしたので振り向いて撮影。

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   あれ、同じ色??

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奈良線 普通 京都行 103系 4連  うーん、103系の方がわずかに黄色寄りかなぁ…

それにしても、ダイヤ改正で環状線、関西線、奈良線の車輛の動きがありそうだけど、終了するという話はどこかに出てるようでも無さそうだし、ごく日常的に運用に入っているようだし、まあ最近は突然に終わる作戦もありそうです。

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こっちもみどりの電車

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帰りにとりあえず入手 TMS、とれいんは置いてないけど、これは置いてる

乗車記録
醍醐8:46東西線5508六地蔵
六地蔵9:05普通10054中書島
中書島9:13特急8154枚方市
枚方市9:34普通13006私市
私市12:24普通13027枚方市
枚方市13:51特急8508中書島
中書島14:10普通13654六地蔵
六地蔵14:30東西線5207醍醐
2020年02月29日 21:00 | コメント(0) | お出かけ

2020年02月28日

東海道線をくぐる3

2月25日の京津線沿線歩きの続きです。

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JRトンネル道踏切から地下線へ向かう800系です。

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東海道に戻って西へ向かいます。三条通りと合流します。

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東海道線をくぐります。

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右側2線が上り線、左側2線が下り線です。時期によって桁も異なるようです。

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セブンイレブンのあたりが地上時代の線路跡です。

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フェンスの内側付近が旧線跡です。

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旧地上線時代は三条通りを踏切で斜めに通っていました。

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旧線路跡は整備されて「陵ヶ岡 みどりの径」となっています。関所のような門は整備時に建てられたものと思われます。線路があったときは門はありません。

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「陵ヶ岡 みどりの径」へ入って振り返ると地上時代のルートがわかります。

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周辺案内図が設置されています。地形に合わせているので南北が逆になっています。

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案内板の図に、この付近の線路変化を書き込んでみました。
黄色が江戸時代からの街道の東海道です。
大正元年、京津電気軌道が開業、ルートは青色破線です。旧東海道線はまだ伏見経由です。したがって左端の東海道線をくぐるSカーブはなくて、街道東海道の路面を走っていたと思われます。大正10年東海道線の大築堤ができるので、京津線の線路を移動、オレンジ色のルートになり東海道線築堤を左端Sカーブでくぐるようになりました。

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「陵ヶ岡 みどりの径」へ入って御陵駅方向へ進みます。

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枕木を使った遊具?があります。おそらく京津線のものと思われますが、由来を書いた掲示板などはないので確証はありません。

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地上時代の御陵駅跡に出ました。縁石から緑の付近に浜大津行ホームがありました。

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こちらは三条行ホーム跡です。この道はさんで互い違いの位置にホームがありました。

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整備のいわれを書いたものがあります。

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線路があった時代には、左の樹木はないですね。

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線路はこのあたりから三条通の路面へ出ていました。

そのまま歩いて地下鉄御陵駅へ。だいぶ歩いたような気がしましたが、それでも1万1千歩でした。
2020年02月28日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年02月27日

東海道線をくぐる2

突然の全国休校要請に驚いています。自分はもう現場から離れたので、直接の影響はないのですが、二男の嫁が大阪で高校の非常勤講師をしているので、どんな対応になるのか気になるところです。
3月21日〜22日の池袋鉄道模型芸術祭に出展予定をしていますが、情勢は微妙です。
芸術祭に出展予定の成城中・高校はどうするのかなぁ。春休みまで休校ですから、3月中は子どもたちの活動もできないでしょう。
お子さまに人気のLゲージとかも出展してますが、子ども連れで会場へ来る人も少なくなる気がします。

さて2月25日の京津線沿線歩きの続きです。

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大正元年、京津電気軌道として三条大橋−札ノ辻間を開業した時には、東海道線は伏見回りの経路でした。このSカーブもありませんでした。そのまま東海道に沿って西へ向かって線路があったようです。


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線路跡はもうわかりませんが、それらしき所をたどって東海道へ戻ります。

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左側が東海道です。少し西へ向かい、路地を北へ曲がります。

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東海道線をくぐるトンネルがあります。

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むこうに京津線の踏切が見えます。レンガは、ねじりまんぼではありません。

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トンネルを出た踏切です。

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踏切名がそのままw 元は国鉄トンネル道だったのかなぁ??

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電車が来ました 太秦天神川行 800系 京阪山科−御陵
JR線列車とは出合いません。

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汽笛の音がしたので上を見ると、赤い機関車がコキを1両だけ牽いて行きました。

続く



2020年02月27日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年02月26日

北大阪電鉄の駅跡2

隔日になりましたが、阪急千里線、元北大阪電鉄の駅跡を探ります。

1921(大正10)年10月、北大阪電鉄が豊津から千里山まで延伸され、「千里山花壇」と称する遊園地を開業しました。その玄関口として「花壇前駅」が設けられ、その半年後の1922(大正11)年に関西大学が移転して、「千里山駅」と「花壇前駅」の間に「大学前駅」が新設されました。

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くわだんまへ駅−だいがくまへ駅 を地図で確認。 1929年昭和4年 1:25000 吹田
右は現在の地図です。 今昔マップ on the web より

このあたりは地図に対応する航空写真がわかりやすいです。
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Googleをお借りしています。線路の右下方向が淡路、左上方向が千里山です。
赤屋根の関西大学幼稚園の左下線路付近が「くわだんまへ」駅跡になります。
右上側の小高い緑地が「千里山花壇」跡にあたります。

電車からみると
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2018.02.21撮影 豊津−関大前   踏切の名前に「花壇」の名が残っています。

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2018.02.21撮影 豊津−関大前   少し進むと左にホーム跡と思われる場所です。
淡路方面行きはフェンスと通路になっています。

現行の関大前駅の北側に「だいがくまへ」駅がありました。
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線路の下方向が淡路、上方向が千里山です。横方向の道路は名神高速です。
現行の関大前駅ホームは名神の下まであります。名神の北側から線路横が少しふくらんでいます。また右に南北細長い建物があります。このあたりが「だいがくまへ」駅跡になります。

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2016.12.07撮影 関大前−千里山   信号機から踏切までが「だいがくまへ」駅跡

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2018.01.10撮影 関大前−千里山   信号機を過ぎたあたりです
右の建物も「だいがくまへ」駅跡と思われます

駅跡全体をねらって撮影してなかったので、周辺の状況は上から写真のほうがわかりやすいです。

2020年02月26日 23:00 | コメント(0) | 阪急

2020年02月25日

東海道線をくぐる1

所用でJR山科駅へ出かけましたので、周辺を少し歩いてみました。東海道に沿って西へ行くと、京阪電車京津線が東海道線をくぐるところへ行くことができます。

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JR山科駅前ビルの下に設置の 「旧東海道」 標識
西方向(左)の方へ歩いて行きます。

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安祥寺道へ入ります。

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京津線 安祥寺川橋梁。
安祥寺道は東海道線をくぐって向こうの山へ続きます、というか大正期に盛土高架で線路を作ったものです。

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安祥寺川橋梁にさしかかる京阪800系 びわ湖浜大津行

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踏切から京阪山科駅を遠望

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東海道へ戻って、さらに西へ。 五条別れの石標史跡

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狭い道を線路方向へ入ると、この場所へ出ます。
フェンスにわずかのすきまがあるので、そこからこの角度で撮影可能。

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Sカーブで東海道線をくぐる 京津線 800系4連 びわ湖浜大津行
京津線電車とJR列車をツーショットで捉えるのは機会が少ないようです。

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古地図で確認。明治42年測圖大正元年8月発行1:20000膳所
東海道線は南回り大宅経由、京津電軌は未開通の頃   右は現在の地図

御陵まで歩きましたが、とりあえず掲載はここまで。

乗車記録
醍醐10:49東西線5509山科
御陵14:02東西線5415醍醐

2020年02月25日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年02月24日

北大阪電鉄の駅跡1

先日のびわ湖鉄道歴史研究会の研究課題として、湖東線の建設の歴史をさぐる学習をしようとなりました。関連して滋賀県を通る計画であった名古屋急行も採り上げていくことになり、名古屋急行を遡れば、京阪電鉄新京阪線であり、関連して北大阪電鉄も…ということになりました。それでまずは、開通当時の地図などから北大阪電鉄の線路変化を見ていきました。
自分は2016年〜2018年に吹田で仕事をしていたとき、通勤に千里線を使っていたので、かなりの写真を撮影しています。その中から北大阪電鉄の遺構らしきものがわかる写真を探してみました。

官設の京都−大阪間鉄道の線路跡を使った北大阪電鉄ですが、神崎川を渡る橋梁が有名でした。
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2016.02.26撮影 下新庄−吹田

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レールを使った架線柱には、「大一五」と記載
北大阪電鉄は大正10年に十三−千里山を開通している。大正12年には新京阪鉄道へ引き継がれ、大正14年二天神橋−淡路間を開業している。

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北大阪電鉄の線路は神崎川を渡ったあと、官設線とは離れて曲線区間に入ります。ここから半径161mで直角に向きを変えて東海道線をくぐりますが、この曲線の真ん中あたりに「東吹田」駅があったようです。この写真では踏切の向こう側です。

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踏切の向こう側、左に木立のあるあたりが「東吹田」駅跡です。この付近から急曲線で左へ分岐して国鉄側へU字に留置線があったようです。

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さらに進んで、ちょうど電車の走っているあたりが「東吹田」駅にあたります。この付近では急曲線で分岐して国鉄側へU字に留置線があったようです。

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国鉄をくぐるとすぐに吹田駅です。「西吹田」駅はホームの先の方にありました。

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吹田駅ホームを西側から見ています。石積みになっている部分が古いホームで「西吹田」駅跡と考えられます。電車の連結輛数が長くなって国鉄側へホームを延長しました。

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東吹田駅−西吹田駅 を地図で確認。 1923年大正12年 1:25000 吹田
右は現在の地図です。 今昔マップ on the web より
2020年02月24日 23:00 | コメント(0) | 阪急

2020年02月23日

京都駅で少し撮影

友人の告別式へ行く途中に撮影機会がありました。

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2821M乗車中 クハ111-7755 東山トンネル通過中

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2821M 鴨川を渡る

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2821M 京都駅7番線到着 回送で向日町入庫の運用でした

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京都駅西側留置線には103系が。

10:54発 55Dスーパーはくと5号 と 753T快速網干行 同時発車動画

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下り西側の6・7番線の間にある機関車待機線の車止めです。

乗車記録
醍醐10:26東西線5508山科
山科10:44湖西線2821Mクハ111-7755京都
京都15:55湖西線2852Mモハ112-5714山科
山科16:08東西線5110醍醐

2020年02月23日 23:00 | コメント(0) | JR東海道線