PhotoCDデータから古い写真を数枚掲載します。カテゴリは「古いネガから」ですが、ポジフイルムで撮影したものです。
大学のクラブで、「12系音戸2号に乗る」というのに行きました。広島に着いてからは解散して勝手に行動するというものでした。可部線で終点まで行ってみようというメンバーに参加しました。座席夜行で到着した広島は雪でした。
1974年2月9日撮影 可部線 三段峡駅 キハ23+キハ23
1974年2月9日撮影 可部線 上八木−中島 太田川橋梁
可部線の17m旧型国電です。 クモハ12+クハ16+クモハ11 の3連です。
撮り鉄派でもないし、車両研究派でもないので、三脚立ててモードラとか、一両ずつ形式写真を全部撮るとか、そんな心構えもなく、来た電車を適当に撮っただけです。
広島から下関まで、夜行の「西海1号」で移動しています。一つ前の急行「雲仙2号」も満員、この西海1号も満員で、ナハ11でしたが通路に立っていた、という記録が残っています。当時の交通は高速道路網は未完成で、新幹線は岡山まで開業していましたが、山陽〜九州の移動は夜行がメインの時代でした。寝台特急がたくさん走っていましたが、貧乏な学生は「均一周遊券」という急行列車自由席乗り放題きっぷを使っていました。翌朝の下関も雪のちらつく日でした。
1974年2月10日撮影 下関駅 840レ 普通 長門市行
DLへの置き換え時期だったのか、D51の前にDF50がつけられていました。
DF50 546 は米子機関区所属です。後ろのD51の番号はわかりません。