2020年04月09日

大谷駅あたり

4月6日、京阪京津線の続きです。
大谷駅は初めてではなく、地下鉄乗り入れ前に旧ホームがあったときに来ています。今回は周辺を探索してみました。

20200409p.jpg
歩道橋から撮影。左が街道の東海道。百人一首で有名な歌が看板になっています。緑の草地が浜大津行き旧ホーム跡で、向かい合って三条行きホームがありました。改札口のようなものはなく、路面停留所と同様の扱いでした。きっぷは車掌さんから買えばよいのです。

20200409q.jpg
歩道橋を降りて旧ホーム跡地から京都方向を撮影。西向きなので逆光ぎみ。

20200409r.jpg
東海道を大津方向へ行きます。かなりきつい勾配です。左へ入る道を行くと名神高速の横へ出ることができます。

20200409s.jpg
手前防音フェンスの方が下り線、標識のたっている向こうが上り線です。旧東海道線の大谷駅は名神高速上り線の下に埋まっているという位置関係です。

20200409t.jpg
道を上っていくと名神高速蝉丸トンネルの西口の上へ出てきます。右側が上り線で駅はその下にあったことになります。

20200409u.jpg
名神高速蝉丸トンネル上の道を進むと、右に逢坂山トンネル跡の石碑があります。

20200409m.jpg
この下に官設鉄道東海道線旧逢坂山トンネル西口があった、という石碑です。

20200409k.jpg
石碑裏側にいろいろ書いているので撮影しましたが、逆光になってよくわかりません。むこうのフェンス下が名神高速道路です。

20200409h.jpg
東海道の坂を登ります。有名うなぎ屋さんがあります。

20200409e.jpg
蝉丸神社があります。上には上がってません。

20200409f.jpg
そのまま東海道を上っていくと、京津線逢坂山トンネルの上に出てきます。

20200409n.jpg
京津線大谷駅へ戻ってきました。

20200409d.jpg
4両編成が直線で停車できる位置に移設されたホームです。

20200409b.jpg
ホーム大津側です。左へカーブして京津線最高地点、そのむこうに逢坂山トンネル。

20200409c.jpg
直線ですが40パーミル勾配の大谷駅ホーム。このベンチもクイズとかに出て有名?

20200409a.jpg
びわ湖浜大津行きが来ました。814F

ほかにもいろいろ史跡などがあるのですが、カメラの電池が電圧低下してもう撮影できません。つぎの下り電車で帰りました。



2020年04月09日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年04月08日

追分から大谷へ

4月6日、京阪京津線の続きです。
東海道を追分から大谷まで歩いてみました。天気が良くて暖かい、というか暑いくらいです。

20200408a.jpg
街道の東海道も、官設鉄道東海道線も、京津電気軌道も、この谷間を通ります。1912年大正元年、東海道路上に併用軌道でしかれていた京津電気軌道は、1925年大正14年2月京阪電気鉄道に合併、京阪京津線となります。1932年昭和7年、国道1号線(京津国道)の改良にともない、道路と分離して専用軌道となります。東海道線は大正10年に新逢坂山トンネルの方へ移行しますので、蒸機列車と並んで走っていたのは9年間くらい、京津電気軌道で東海道併用軌道時代となります。


20200408b.jpg
東海道線は25‰勾配ですが谷間の中へ向かっていき、京津線は40‰勾配でまだ登り続け、関所跡付近で最高地点となり、京津線の逢坂山トンネルへ入りります。大正10年から長く放置となった旧東海道線跡は、その路盤跡を利用して昭和37年名神高速道路が開通しました。

20200406c.jpg
原色編成が勾配を登っていきます。 801F びわ湖浜大津行

20200406d.jpg
回生ブレーキの定速制御で勾配を下ります。 813F 太秦天神川行

20200408c.jpg
この区間には名神をくぐって山側へ行くための踏切があります。名神に埋もれた旧東海道線路盤跡に出会えるかも。上から写真を見ると向こう側には何もないようです。

20200408e.jpg
名神高速はまだ京津線の上になっていますが、旧東海道線の路盤は谷の方へ入って行ってたようです。

20200408f.jpg
もう一つ踏切があって、名神の向こう側へ行けます。上から写真を見ると墓地があるようなので、ここには押しボタン式歩行者信号付き横断歩道があります。

20200408g.jpg
このあたりの谷の下に旧東海道線大谷駅がありました。

20200408h.jpg
大谷町の集落へ入ってきました。街道の東海道は歩道橋左の方へ向かっています。

20200408k.jpg
歩道橋途中から撮影。踏切の向こうの道が街道の旧東海道です。この踏切から右側に京津線旧大谷駅がありました。ホーム長さが短くて800系4両編成は止まれない、曲線と踏切のため延長も困難、ということで浜大津側へ移設されています。

20200408m.jpg
歩道橋上から。ガードレールのところが京津線旧大谷駅跡です。現大谷駅は桜の中に見える右側になります。

20200408n.jpg
旧大谷駅跡を通って大谷駅へ入る800系びわ湖浜大津行 811F

20200406e.jpg
大谷駅で新色811F と 原色801F が並びました。

今回の掲載はここまで。
2020年04月08日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年04月07日

追分探索

京阪京津線の続きです。
まだ時間があったので、このあと東海道探索と大谷駅まで歩いてみました。

20200406b.jpg
追分踏切横の歩道橋からです。上は現在名神高速道路ですが、大正10年までは東海道線の線路が通っていました。開業時は交差部から大谷まで東海道の路面上を走っていました。

20200407a.jpg
国道1号線の方へ出てきました。
京津線と東海道が地上、その上を行く名神高速=旧東海道線です。

20200407c.jpg
もう少し先まで歩道があるのですが、通行止めになっています。

20200407b.jpg
フェンスから立体交差部を撮影。名神の下の石垣は旧東海道線のものかどうかはわかりません。しかし、京津線を跨いでいたことには間違いないので、中身の盛り土は旧東海道線の路盤、と勝手に推察して納得しておきます。

20200407d.jpg
歩道橋の上から撮影。旧東海道線は明治12年8月に京都ー大谷間が開業、その時点で街道東海道を跨いでいますので、立体交差の築堤や橋梁が造られたものと思われます。その後、大正元年に京津電気軌道が開業、交差部の付近から東海道路上を併用軌道で大谷へ向かっていました。

20200407e.jpg
さて、左へ横道にそれて…ではなく、旧東海道の街道へ入ってみます。

20200407f.jpg
すぐに勾配にかかります。案外、急な坂道です。

20200407g.jpg
京都府と滋賀県の県境です。このあたり、四宮−追分は境が入り組んでいます。

20200407h.jpg
京都側へ進むと分岐が見えてきます。「追分」です。

20200407k.jpg
分岐の石標があります。解説板もあります。

20200407m.jpg
歴史に刻まれた街道(追分)
この地は江戸時代より東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点にあたり、馬子が馬を追い分けることからその名前の由来となっています。

20200407n.jpg
ちょっと寄り道しすぎました。京津線へ戻ることにしましょう。
旧東海道線をくぐります。

20200407p.jpg
逢坂山の谷間へ入っていきます。左の名神高速が旧東海道線跡ですが、下り勾配のように見えてしまいます。京津線は40‰で旧東海道線は25‰なので、両方とも上り勾配ですが途中から上下が逆転します。

20200407q.jpg
大谷への勾配区間を歩きましょう。国道1号線ですが自動車はそれほど多くないです。信号の関係のあるのか、このように途切れることもあります。

今回の掲載はここまで。
2020年04月07日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年04月06日

初めての追分駅

エコーモデルのボンネットバス続きです。

20200406g.jpg
ボンネットバスのシートを塗り替えました。
緑色系のプラ用塗料がたくさんあるのですが、どれもダークグリーン系なので、比較的鮮やか系のこれを使ってみました。

山科に用事があったので、出かけたついでに追分駅まで京津線電車に乗ってみました。
20200406h.jpg
京阪山科駅で電車待ち。これは太秦天神川行 813F

20200406k.jpg
乗る電車がやってきた。

20200406m.jpg
四宮駅 原色塗装編成803Fは車庫でお休み。801Fが走っているか?

20200406n.jpg
四宮駅を出発。

20200406p.jpg
追分駅に降り立つ。
幼少期から京津線を利用しているけど追分駅に降りるのは初めて。

20200406q.jpg
ホームの長さが4連ぴったりで余裕は全くない。

20200406r.jpg
お見送り〜

20200406s.jpg
駅観察してたら原色塗装編成がやってきた。太秦天神川行801F
電車先頭のあたりで勾配が変化してます。向こう大津側は38.8‰で手前京都側は10‰です。

20200406t.jpg
追分駅構内はホーム途中で勾配が変化してます。

20200406u.jpg
改札を出ることにします。無人駅ですがカード対応。きっぷは集札箱へ。

20200406v.jpg
追分駅構内は10‰勾配です。

20200406w.jpg
大津側は38.8‰です。

20200406x.jpg
追分駅は開業時から位置が変更されています。京津電気軌道の開業時の駅は、むこうの踏切あたりにありました。昭和54年1979年、西大津バイパスの整備にともなって、北へ15m線路移設と追分駅を現在地へ283m西へ移動が行われています。

20200406y.jpg
びわ湖浜大津行きの来る時間です。
追分踏切横の寺院、攝取院の桜を入れてみました。816F

まだ時間があったので、このあと東海道探索と大谷駅まで歩いてみました。
今回の掲載はここまで。
2020年04月06日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年04月05日

下回り塗装

エコーモデルのボンネットバス続きです。

20200405a.jpg
床板にステップをつけるのを忘れていました。シートの並びを確認。

20200405b.jpg
下回りを塗ってしまうことにします。床板は木張りで油引きというじだいでしょうね。新しい油を引いたときは黒いのですが、土足の砂・埃を持ち込んでザラッとしてくる感じ、箒でで掃いてまた油を引いて…って感じですかね。適当に混ぜて、キタナイ床色を作りました。

20200405c.jpg
床板の車内側面に吹き付け。その前にミッチャクプライマー吹いてます。床下側は吹き付けの行き届かないところもあるので、先にエナメルの筆塗りをしておきました。

20200405d.jpg
シート類をフラットグリーンで塗りましたが、もう少し鮮やかな方が良いみたい。
2020年04月05日 23:00 | コメント(0) | 模型一般

2020年04月04日

エコバス

エコーモデルのボンネットバス続きです。

20200404a.jpg
近所の万千代川堤防の桜です。

20200404c.jpg
番ネットバスのパーツをバラッと出してみました。細かいパーツは袋に。

20200404d.jpg
車体パーツはこの袋とベンチレータのようです。細かいです。

20200404b.jpg
前後に三つのランプがついていますが、速度表示灯ではなくマーカーランプらしいです。両端のも合わせて5個のオレンジ色マーカーをつけている会社もあるそうです。路線バス表示は紫色だとか書いているWEBもありました。

20200404e.jpg
後ろ姿です。後ろもマーカーが五つあります。

20200404f.jpg
内側は今のところ何も取り付けてないです。

20200404g.jpg
上下合わせてみました。取り付け梁をまだつけてないので、合わせてあるだけ。

高校時代、1年生の一学期間だけ、京都市バスの通学専用バスに乗りました。これよりも車体長が少し長めのボンネットバスが運用についており、営業路線とは異なるルートで走りました。女性の車掌氏が乗務しており、運転士へ向けて「右動車〜、左自転車〜」とかコール?してました。二学期からは自転車通学にしたので、このバスがその後どうなったかはわかりません。

2020年04月04日 23:00 | コメント(1) | 模型一般

2020年04月03日

旧東海道線大塚信号場跡

満開になってから長めに咲いているようです。

20200403aa.jpg
居住地近くの公園の桜、個人的標本木です。

官設鉄道旧東海道線めぐりです。WEB上ではわりとたくさん掲載が見られます。今日は自動車で行ってみました。

20200403g.jpg
旧山科駅跡付近です。南側下り線のフェンス越しのJHの石碑です。
3/26に徒歩で来たときには、名神高速道路上の石碑に気づかなかったので、もう一度来てみました。フェンス越しに下からも見える巨大な石碑が建てられています。高速バス山科バス停より西側なので、これを撮影するには名神を走行中に撮るしかないのかなと思われます。

20200403f.jpg
名神をくぐって北側上り線沿いの側道に出てみました。信号待ち停車中に撮影。
こちらにも「名神起工の地」標識と解説板があります。石碑もあるようですが、ここからはよく見えません。動いてしまったので自動車からの撮影はできませんでした。

旧東海道線線路跡の道路を走って大塚信号場跡へ向かいます。


20200403k.jpg
自動車を降りて徒歩にします。25‰だったということですが、徒歩でもかなりの勾配です。左側の建物基礎が水平になっていますが、このあたりまで大塚信号場の引上線だったのではないかと推察しています。

20200403a.jpg
左下へ向かう急勾配の道のそばに妙見寺があります。交差点擁護壁面に大塚信号場に関する案内板が取り付けられています。線路が境内の中を走っていたとは考えにくいので、歩道のあたりに引上線があったということでしょうか。

20200403b.jpg
大塚信号場跡の解説板です。

20200403m.jpg
解説板を拡大してみました。

お寺の方へ行ってみます。

20200403e.jpg
妙見寺は急勾配道路の北側に沿っていますが、境内は平地になっています。傾斜地を切り取って創建したのでしょうね。

20200403c.jpg
振り返って南をみると、鳥居があります。左(東)の石垣が大塚信号場の路盤だったかどうか? 石積み自体は比較的新しく見えます。左奥にレンガ積みの遺構があります。

20200403d.jpg
鳥居の中へ入って奥へ進むと、解説板写真と同様の現物があります。

20200403n.jpg
大日本帝国陸地測量部 二万分之一 膳所 の一部分 「村」の文字下が妙見寺 
明治42年測圖同45年製版大正元年八月三十日発行
旧東海道線の京都−大津間複線化は明治30年1897年に行われ、信号場は大正2年1913年に開設されているので、この地図の測量時期では複線化はされているが大塚信号場まだ作られてないという時期の地図です。
2020年04月03日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般