2020年04月18日

御陵駅50年

東海道線と京津線の線路関係で古い写真を探しましたが、自分ではあまり撮ってないです。とりあえずポール廃止前に撮影したものを出します。50年前の写真です。

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1970年8月撮影 急行 三条行 260形 旧東海道踏切から浜大津方向に撮影
電車の後ろの築堤が東海道線です。大正10年8月に開通しています。
京津電気軌道は大正元年開通なので、初期は築堤のない風景の中を電車が走っていたのでしょう。


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2020年2月25日撮影 上とほぼ同じ位置、旧東海道踏切内から浜大津方向で撮影
植栽や建物でわかりにくいですが、右方に架線柱の見えるのが東海道線築堤です。

鉄道史資料保存会 鉄道史料第92号 京阪・京津初期の資料から(3)  著者:今井健夫氏 の記事に京津線御陵〜山科の路線に関する記述があります。関係する記述を抜き書きします。
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明治40年1月の路線特許後、開業までに2度の主立った路線変更申請が行われている。(P18)
明治43年10月11日、変更案の軌道が天智天皇陵に接近しているところから府より宮内省諸陵寮出張所へ照会、変更案では御陵前以東から専用軌道となるため牛馬荷車往来の頻繁な箇所でもあり、臨時参拝者の安全面からも分岐位置の変更を希望、これを受けて若干の見直しがなされている。(P19)
明治44年6月16日、二度目の特許路線変更願が提出され9月8日に大臣認可を得ている。(P20)
もう一カ所は元京阪山科の東方に当たる毘沙門道から御陵までの変更である。京津開業当時、東海道線は旧線のため「山科駅前停留場」はまだ存在しない。この変更は現東海道線と京津との立体交叉付近から西進し、後の御陵付近まで(哩程4哩2鎖71節5〜4哩40鎖11節2)の線形変更が主で、中間にある天智天皇陵入口付近から東は特許線を僅かに南寄りへ、また西は道路上の特許線を南へ迂回させ専用軌道(開業線)とする設計変更が加えられている。また後年の東海道線の付替えに関連して交叉部分前後の曲線も当然変化している筈である。(P21)
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開業までにかなりの線形変更があったようです。しかし、最後の文節の「また〜筈である」のところは今井氏の確信に満ちた推測のような記述であり、東海道線の付替え=築堤新設→京津線線路変更についての調査記述がないのが残念です。


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1970年8月撮影 急行 三条行 260形 旧東海道踏切から御陵駅方向で撮影
旧東海道踏切で電車が通過した後、上の写真と反対方向に向いて撮影したものです。

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2020年2月25日撮影 旧東海道踏切内から御陵駅跡方向で撮影
遊歩道がS字にウネウネと作られているのでまぎらわしいですが、線路はここから御陵駅まで直線で敷かれていました。

前書籍、今井氏の記述によれば、この付近、計画時は日ノ岡から併用軌道のまま御陵前まで進み、そこから東の方へ転じて専用軌道で山科へ向かう予定だったが、分岐位置を変更して御陵前を避けて一旦西へ入る専用軌道にした、という経過のようです。

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1970年8月撮影 御陵駅 踏切をはさんで上下線のホームが分かれていた。
左 急行 石山寺行 281+282   右 普通 三条行 80形
三条行きホームから撮影していると思われます。

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2020年2月25日撮影 御陵駅跡 三条行き線路内の位置にあたるようです。

まだ自分専用カメラが持てない状況で、家の距離計連動式コニカオートSで撮った写真です。しかしなぜかフィルムがトライXを使っています。同じフィルムで5月に撮影した残りで撮りに行ってます。11月にも同じフィルムで撮っているので、半年以上カメラに入れたままだったようです。
2020年04月18日 23:00 | コメント(0) | 京阪