1899年明治32年、山陽鉄道の急行列車に日本で初めて食堂車が連結されて走った日ということです。 歴史的経緯などはその道の本やサイトを検索していただいて、自分の利用記録を置いておくことにします。十指に満たない程度の利用回数です。
最初に食堂車を利用したのは1972年昭和47年3月、キハ181系特急しなの2号京都→長野のキサシ181です。領収書とか車番とか何も記録は残ってませんが、同乗していた友人たちが食堂車に行きたい、というので同行しました。メニューで安価だったハムオムレツとライスで200円という日記が残っています。当時の駅弁価格は広島駅で300円の二段重ね幕の内弁当が食べられました。
以下は、領収証が保存してあるものです。
1975年昭和50年8月、181系特急 2008M とき4号 サシ181-43
ビーフシチュー定食900円という贅沢です。「とき」の特急券を仙台駅で購入してますねぇ…
1976年昭和51年3月、176Aひかり176号 36形 0系新幹線の食堂車です。
土曜日午前中の仕事が終わってから出かけたので車内で昼食、京都→名古屋間でハンバーグ定食1000円です。
1978年昭和53年8月、485系特急 1035M あいづ サシ481-27 食事内容記録無し
この日、浦和付近で暑さによるレールの曲がりが発生して上野駅を出発できず約1時間半ほど足止めとなったが、出発後の遅れは増えずにそのままで走ったので特急券の払い戻しはなく、しかも手元に残すことができませんでした。
1980年昭和55年1月、キハ82系特急 5Dまつかぜ1号 キシ80
鳥取から米子まで移動中の昼食に利用、ビールとポークカツ定食で日本海を眺める。
1980年昭和55年3月、485系特急 4008M雷鳥28号 サシ481
夕食時間にかかる雷鳥の食堂車は大繁盛でした。ビール、チーズ、ハンバーグ定食1360円の記録。26号から28号に変更、雷鳥でも新潟→大阪の列車なので食堂は新潟担当のようです。
書類を探し出せたのは今のところこれだけです。