2020年05月17日

澤田さんの上田本

ポチッとした本がとうちゃこ。モデルエイト出版事業部の模型製作用資料集です。

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いつかどこかのイベントなんかで手に取ってみたはずですが、購入を見送ったまま忘れていました。

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棚のスキマに入れてあったこれらの参考書ですね。

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スキマ探索したらほかにも出てきました。探しきれてないのがまだあるかも。
何か切り外した痕跡があるのは、キハ40000のドアを江若用キハ07に流用したのでした。

2020年05月17日 15:00 | コメント(0) |

2020年05月16日

棚からおろす

ここ1・2年に導入したキットたちの保管場所が分散してきて、車籍簿への掲載も追いついていません。棚のスキマに押し込んでいるのもあるので、確認作業を始めることにします。

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一応、ラベルをこっち向けて押し込んでますが、縦横斜め適当に突っ込んでます。

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こんなところにもいる。プラケースはラベル見えない。
これを取り出したら、奥には茶箱の沼尻がおりました。

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とりあえず棚からおろしました。草軽が多いようです。あとは西大寺か…

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ちょっと広い場所で展開…確認はこれからゆっくりとね…。

2020年05月16日 23:00 | コメント(0) | 模型一般

2020年05月15日

関西通勤車冷房50年

関西初の通勤車の冷房車として2400系が登場して50年。登場は1969年12月ということなので51年目になるのかな。しかし冬に登場しているので、すぐに冷房稼働してなかったようです。

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1970年1月24日撮影 区間急行 枚方市行 関目駅 A線通過 2451F
登場して至近の日に撮りに行ったのですが、なかなか出会えませんでした。やっと来てくれた区間急行ですが、速い電車の撮影ができなくて追いかけてしまい、うしろを1枚だけ撮れただけでした。

社史によると、昭和45(1970)年5月15日 京阪線2400系車両の冷房装置使用開始、と記載されているので、2400系での冷房稼働が始まってから50周年ということです。京阪線では1989年平成元年に冷房化100%が達成されています。

記念カードとかが出るかなぁ?
タグ:京阪2400系
2020年05月15日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年05月14日

更地にした

運転ボードですが、京阪電車110周年記念運転会から敷きっぱなしの線路を撤収して収納しました。

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いろいろ物置になってます。

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車輛を撤収します。京阪700形は棚へ留置。

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8000系は箱に戻すことにします。

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架線柱はひきだしへ。

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フィーダ線をはずす。

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線路分解。

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線路もひきだしへ。

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更地の掃除をして終了。


2020年05月14日 23:00 | コメント(0) | 模型線路

2020年05月13日

古いポジから1975年

リバーサルで撮影した古い写真の掲載続きです。1975年8月2日に北陸本線谷浜で撮ったものです。

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3006M 特急 白山2号 上野行 489系12連  谷浜−直江津 

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普通 242レ 直江津発米原行  谷浜−直江津

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503D 急行 しらゆき 金沢発青森行  谷浜−直江津
金沢発では急行白馬と併結で発車しますが、糸魚川で白馬を切りはなしますので、この写真ではしらゆき単独編成です。

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3001M 特急 はくたか 上越線経由金沢行 485系11連  谷浜−直江津
はくたかは1965年10月に白鳥の上野編成を分離して信越線経由キハ82系で運転開始されましたが、1969年10月改正で上越線経由で電車化されました。この当時は向日町所属車で雷鳥などと共通運用のためボンネット11連がありました。

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4005M 特急 北越2号 大阪発新潟行 485系11連  直江津−谷浜
これも向日町所属車なのでボンネットが多いです。

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4002M 特急 白鳥 青森発大阪行 485系13連  直江津−谷浜
白鳥は青森所属車の13連で、クハ−サロ−サロ…という専用編成になっていました。

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4002M 特急 白鳥 青森発大阪行 485系13連  直江津−谷浜
クハ481は300番台の新車でしょうか。

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3003M 特急 白山1号 上野発信越線経由金沢行 489系12連  直江津−谷浜
ボンネット白山です。金沢方で自連をつけた500番台です。

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4008M 特急 北越2号 新潟発大阪行 485系11連  直江津駅
上信越線系と北陸線系で列車番号が奇偶逆になるのでややこしい。

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3008M 特急 白山3号 金沢発信越線経由上野行 489系12連  直江津駅
進路を左へとって信越線へ向かいます。後ろはクハ489 200番台です。

70年代のリバーサルはこれで終了です。ここから十数年、リバーサルを使っていません。
2020年05月13日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2020年05月12日

色を付けてみた

ポール時代の京津線で、自分の撮った古いモノクロ写真に色を付けてみました。WEBサイトへファイルを送り込むだけで、カラー化して出力されるという、面白い時代になったものです。いくつかサービスサイトがありますが、次のURLのところを使ってみました。


対象となる写真ですが、まずは屋根上写真を撮りに行った上関寺駅です。

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1968年4月21日撮影 国道1号線から俯瞰 260形一次車片開き両運タイプ
黄と赤の京阪特急色時代です。目的が屋根上だったので、屋根色は良い感じに出ていますが、今回は方向板に注目したいところ。しかしハッキリとはわからない色になってます。


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1968年4月21日撮影 石山寺行き急行 307-308 御陵−山科
東海道線北側築堤下です。これは床下機器をねらったので、方向板は日陰になって暗く、黄色地のようにも見えてしまいます。

次は1970年8月、パンタ化前の御陵駅付近です。

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石山寺行き急行260形四次車281+282 と 三条行き普通80形 御陵駅
良い感じの色つき写真になりました。しかし、方向板の色を分析するには小さい…水色地に見えなくもない。

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石山寺行き急行260形四次車285+286 御陵−山科 旧東海道踏切
右側家屋の庭木は良い色の葉になっていますが、黄色の発色が今ひとつです。方向板はわりと大きく見えますが、地色はわからないです。そうか、水色でなくグレイ地ならこの程度の色なのかもしれません。


2020年05月12日 23:00 | コメント(3) | 京阪

2020年05月11日

石山寺行き急行方向板

少し気になっていたことに関する資料が見つかったので書いておきます。
京阪電車大津線系統のことで、三条−石山寺を運行していた急行が取り付けていた方向板のことです。列車種別、行先などを鉄板に書いて列車の先頭・後部に掲げるわけですが、行先板と呼ばれたり、方向板と呼ばれたり、運行標識板やサボなどいろいろな呼び方があるようです。ま、ブツの呼び方の研究ではないので、スルーしておきます。

いくつかの写真や資料で、京津線急行運用に就いている方向板では地色が黄色で文字が赤色の「急」のものが多いのですが、自分の子供の頃の記憶では、グレイの地色で「急」文字の上に横書きで「石山寺」と書かれた丸板を付けている印象が残っています。ポール時代の電車なので、1970年昭和45年以前のことになります。しかし、写真はまだモノクロ主流時代で、方向板の色のことまで考えて撮影された京津線のカラー写真などは見たことないのです。保育社カラーブックス京阪の中に方向板のページがあるのは知っていますが、京津線の急行板はありません。
で、いろいろ調べて行き着いたのが、次に掲載する京阪電鉄五十年社史「鉄路五十年」のカラーページです。当該ページを撮影掲載します。

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石山寺行き急行に使われていた方向板が掲載されています。自分はグレイだと印象に残っていた地色は、どうも水色のようです。びわ湖の色かな?? それはわかりませんが、色の印象、記憶は曖昧なものですし、資料は印刷物なので色調整されているでしょうし、実物方向板は色あせてくることもあるだろうし、とにかくこの色使いの方向板があったことは間違いないと確信できました。

20200511b_大津線行先板拡大_鉄路五十年.jpg
大津線系統部分を大きくしてみました。「急」の文字が突き抜けているタイプで古い字体ですが、昭和30年代ではまだ良く見かけました。石山寺に到着したら、運転士はポールを上げ車掌はポールを下げ、この方向板を裏返して掲示したと思いますが、不思議なことに三条行急行の方向板の記憶がほとんどありません。同じ地色と文字色で「三条」だったのか旧字体「三條」だったのか、「京都三條」だったのか…

右側の急行板「大津」表示も「浜大津」でないのが気になりますが、このくらいにしておきます。


2020年05月11日 23:00 | コメント(0) | 京阪