レイル122号キハ42000の本を少し読み進めました。
41ページに国鉄宮原線で発生した衝突横転事故の写真が載っています。
1967年4月7日の事故で、キハ07は燃料タンクを上にして横転しています。すでにディーゼル機関に交換されたあとのことで、幸いにも燃料火災には至ってないです。台車や駆動系に損傷無く横転しただけなら燃料タンク損傷はなかったのだろうかなと思われます。
ところで、このような国鉄の事故の9年前に同じような横転事故が江若鉄道で起こっていました。
鉄道ファン310号 1987年2月号 109ページ
1958年4月18日 西尾克三カ氏撮影
江若鉄道 北饗庭−近江今津 遮断機警報機なしの無人踏切でのトラックとの衝突事故
写真は右下方向が近江今津で左奥が北饗庭駅から浜大津方向
DD1351+キハ14形が救援に来ているようです。
地図に書き込んでみました。撮影は近江今津方から浜大津方向へ撮られているようです。
この事故のことは江若関係の本ではあまり書かれていないようです。事故車両が何番だったのか、車輛の変遷などが書かれた本でも触れているものは見かけないようです。
江若鉄道にはキハ18〜24の7両もの07形が活躍していましたが、入線時期はかなり幅があります。事故の起こった日1958年4月18日の時点で在籍していた07形は、
キハ18←1953年自社整備←1948年事故廃車キハ42054←1937年日車
キハ19←1956年長門鉄道キハ11←1949年国鉄キハ42017←1936年日車
この2両だけです。キハ18かキハ19のどちらかが横転事故に遭っていたということになります。
車輛の部分だけを大きくしてみました。車番がはっきりと読み取れないですね。
キハ18と19の違いは、19の窓には保護棒が付いていたということです。長門鉄道時代に取り付けられ、江若でもそのまま使用されていました。この写真の車輛では保護棒は確認できないのでキハ19ではない、ということで事故車はキハ18であろうという分析です。
キハ18は1948年(昭和23年)3月5日付けで事故により廃車になったキハ42054の車体を購入して自社で整備の上1953年(昭和28年)に竣工しています。事故廃車から復活したのに、またもや事故に遭うという歴史を背負っていることになります。この横転事故でどの程度の損傷があったのでしょうか。写真では中央ドアがはずれかけているようですが開いてはいないですね。乗客はどこから救出されたのか。下になった側は窓ガラス割れはあるでしょうね。
しかし廃車になることなく使用され続け、1966年には今津側切妻に改造されて5121号になってています。
床下機器をよく見るとラジエータが07形と異なるように見受けられます。07形では車体中央にレール方向で取り付けられていますが、この車輛では枕木方向にあって04形のようになっていると思われます。自社整備で復活しているので、そのあたりの違いが出ているのかもしれません。