江若鉄道の実物の話になってしまって、模型はまったくできていませんが。
07形でキハ23の方向についても気になるところです。
江若鉄道車輛五十年 P125 キハ23 昭和40年1月の姿 三井寺下
DRFCのサイトに書かれていた藤本哲男氏の解説
元国鉄キハ072(キハ42221→42501)で、昭和38年2月9日付遠江二俣区で廃車になり同年中に譲り受けている。
昭和39年12月2日とほぼ1年後の40年11月29日に撮影しているが、エンジンはもとより運転台機器、ヘッドライトがなくキサハ状態であった。譲り受け時よりこのような状態であったのか、入線後間もなく何かの事情で取り外したのか、今でも疑問に思っている。
昭和39年12月2日とほぼ1年後の40年11月29日に撮影しているが、エンジンはもとより運転台機器、ヘッドライトがなくキサハ状態であった。譲り受け時よりこのような状態であったのか、入線後間もなく何かの事情で取り外したのか、今でも疑問に思っている。
三井寺下留置線の東側民家を背に、西側から撮った写真と思われるので、左が近江今津方、右が浜大津方です。昭和40年1965年の時点ではエンジンが搭載されておらず、浜大津方を前位にして使用されていたようです。
江若鉄道車輛五十年 P125 キハ23 昭和42年4月の姿 近江今津
左側が終端なので右が浜大津方、DMH17Bを搭載し前照灯も装備したキハになっています。車体を見ると中央扉戸袋が今津方に向いているので、今津方が前位になっています。
エンジン搭載時のときにでも方向転換を行ったのでしょうか。
江若の07形キハ18〜22は今津方前位で揃っていたので、キハ23も合わせるというようなことが行われたのかもしれません。江若内では07を方向転換できるような大きさのターンテーブルはないので、線路がつながっていて近くで方転できそうなところといえば梅小路機関区のターンテーブルか梅小路デルタ線くらいかなと思われます。エンジン搭載工事を向日町の大鉄車両でやったとすれば、そこで方転できたのかもしれません。
いずれも推測で、いつどこで方転?、というのはもうわからないのです。