11月4日土曜日、所属クラブの NetMeeting 、第201回です。
日本シリーズ見ながらだったけど、劣勢だったのでミーティングの方に。
11月5日、大学鉄研OB会総会へ行きました。会場は京橋ですが、天満橋から京橋まで京阪電車の地上線線路跡をたどってみることにしました。
事前に今昔マップで学習。
左:昭和44年3月発行大阪東北部 右:現行の地理院地図
天満橋駅は昭和38年1963年、淀屋橋延長時に地下駅となる。
このとき、天満橋−京橋間はまだ高架ではなく地上線である。
左の地図は地下天満橋駅−地上片町駅−地上京橋駅の時代。
片町では大坂市電と平面交差し、環状線下をくぐって京橋駅となっていた。
乗車記録
醍醐14:36東西線5514六地蔵
六地蔵15:05普通13005中書島
中書島15:13特急8106天満橋
地上天満橋駅跡地にそびえ立つOMMビルです。
天満橋から天満橋駅跡地をみる
開業時は大川、寝屋川、土佐堀通にはさまれた狭隘な場所に、路面停留所レベルの駅が設けられましたが、都市間高速電車として発達していくうちに拡張され、昭和初期の河川改修工事との関連でこの場所に駅舎が建てられました。中央通路をはさんで東西で乗降分離されており、降車ホームで客を降ろすと、西へ前進して乗車ホームへ据え付けるようになっていました。戦時の空襲で焼けましたが修復され、地下化まで使用されていました。
天満橋から川崎橋をみる
水上バスが京阪線をくぐって寝屋川へ入っていく
残念! 電車と出会いません
出町柳行き特急が勾配を登っていきます
中之島行き電車がやってきました
さて、京橋駅へ向かって歩いて行きます。
土佐堀通を東へ向かいます
OMMビル真ん中あたりですが、この付近が乗降分離駅時代の地下通路がありました。降車客の専用出口となっていて、京阪東口と称する電停がありました。
地上時代の天満橋駅は子どもの頃に何度か利用しましたが、電車降りて地下へ入って出たところと、帰りに乗るための入口が違うので、どないなってるのかようわからん駅やなという印象でした。
さらに東へ進んで寝屋川を渡ります。 淀屋橋行き特急がやってきた。
線路沿いを歩きたいので、半地下道で京阪線をくぐり北側に出る。
本線と中之島線が交差するところに出てきます。
斜張橋の川崎橋などもありますが、線路跡を行くことにします。
高架化された線路側道を東へ歩きます。
この付近は地上線も同じところを走っていました。
左側は現在コーナンですが、この付近から次の信号交差点まで京阪片町駅がありました。
京阪と大阪市電が平面交差していたところです。
明治43年京阪開業時は交差点の向こう(東)に野田橋駅が設置されていました。
大正14年に大坂市電が開業するため平面交差ができました。
昭和30年に片町駅に改称し、交差点の手前(西)に移動しました。
交差点を越えて、線路は少し左へ振られていました。
交差点から現在の京阪京橋駅をみると、側道は勾配で下がっていきます。
京阪の元の線路は左の金網あたりから左へ向かっていました。
京阪の線路は左斜め奥へ続いていました。
真っ直ぐ行く道は「京街道」と呼ばれる京都−大坂の街道で、開業時はすでに人家もあったようです。そこは避けて左の方へSカーブを描くようなルートをたどっています。国鉄城東線と交差の関係もあったのでしょう。
桜宮幼稚園の横を通って、線路跡の斜めの道へ入っていきます。
線路跡の地下にはリニアモーター地下鉄が走っています。鶴見緑地線です。
このあたりから地下鉄京橋駅になります。
線路跡は信号のあたりから右へカーブしていきます。
線路跡は公園になっています。
開放式地下街の「京橋コムズガーデン」です。
公園内から線路跡の続きの方向をながめると大阪環状線が見えます。
コムズガーデン東側の交差点から線路跡をたどります。
進んでいくと京橋の繁華街に入ります。
環状線ガードの向こうには、グランシャトーがおまっせ。
グランシャトービルの付近が地上時代の京阪京橋駅でした。
線路跡から京橋駅方向です。
大阪環状線のガーダーは厚さが薄く、京阪がくぐっていた当時のままではないかと思われます。
線路跡歩きはこのくらいにして、本来の行事へ参加しました。
懇親会の後は年1回のプレミアムカーに乗車。
乗車記録
京橋20:37特急8558三条
三条京阪21:33東西線5204醍醐
試合の情報はチェックしていたけど日本一決定瞬間は地下鉄乗車中だった。