京阪京津線の続きです。
まだ時間があったので、このあと東海道探索と大谷駅まで歩いてみました。
追分踏切横の歩道橋からです。上は現在名神高速道路ですが、大正10年までは東海道線の線路が通っていました。開業時は交差部から大谷まで東海道の路面上を走っていました。
国道1号線の方へ出てきました。
京津線と東海道が地上、その上を行く名神高速=旧東海道線です。
もう少し先まで歩道があるのですが、通行止めになっています。
フェンスから立体交差部を撮影。名神の下の石垣は旧東海道線のものかどうかはわかりません。しかし、京津線を跨いでいたことには間違いないので、中身の盛り土は旧東海道線の路盤、と勝手に推察して納得しておきます。
歩道橋の上から撮影。旧東海道線は明治12年8月に京都ー大谷間が開業、その時点で街道東海道を跨いでいますので、立体交差の築堤や橋梁が造られたものと思われます。その後、大正元年に京津電気軌道が開業、交差部の付近から東海道路上を併用軌道で大谷へ向かっていました。
さて、左へ横道にそれて…ではなく、旧東海道の街道へ入ってみます。
すぐに勾配にかかります。案外、急な坂道です。
京都府と滋賀県の県境です。このあたり、四宮−追分は境が入り組んでいます。
京都側へ進むと分岐が見えてきます。「追分」です。
分岐の石標があります。解説板もあります。
歴史に刻まれた街道(追分)
この地は江戸時代より東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点にあたり、馬子が馬を追い分けることからその名前の由来となっています。
ちょっと寄り道しすぎました。京津線へ戻ることにしましょう。
旧東海道線をくぐります。
逢坂山の谷間へ入っていきます。左の名神高速が旧東海道線跡ですが、下り勾配のように見えてしまいます。京津線は40‰で旧東海道線は25‰なので、両方とも上り勾配ですが途中から上下が逆転します。
大谷への勾配区間を歩きましょう。国道1号線ですが自動車はそれほど多くないです。信号の関係のあるのか、このように途切れることもあります。
今回の掲載はここまで。