少し気になっていたことに関する資料が見つかったので書いておきます。
京阪電車大津線系統のことで、三条−石山寺を運行していた急行が取り付けていた方向板のことです。列車種別、行先などを鉄板に書いて列車の先頭・後部に掲げるわけですが、行先板と呼ばれたり、方向板と呼ばれたり、運行標識板やサボなどいろいろな呼び方があるようです。ま、ブツの呼び方の研究ではないので、スルーしておきます。
いくつかの写真や資料で、京津線急行運用に就いている方向板では地色が黄色で文字が赤色の「急」のものが多いのですが、自分の子供の頃の記憶では、グレイの地色で「急」文字の上に横書きで「石山寺」と書かれた丸板を付けている印象が残っています。ポール時代の電車なので、1970年昭和45年以前のことになります。しかし、写真はまだモノクロ主流時代で、方向板の色のことまで考えて撮影された京津線のカラー写真などは見たことないのです。保育社カラーブックス京阪の中に方向板のページがあるのは知っていますが、京津線の急行板はありません。
で、いろいろ調べて行き着いたのが、次に掲載する京阪電鉄五十年社史「鉄路五十年」のカラーページです。当該ページを撮影掲載します。
石山寺行き急行に使われていた方向板が掲載されています。自分はグレイだと印象に残っていた地色は、どうも水色のようです。びわ湖の色かな?? それはわかりませんが、色の印象、記憶は曖昧なものですし、資料は印刷物なので色調整されているでしょうし、実物方向板は色あせてくることもあるだろうし、とにかくこの色使いの方向板があったことは間違いないと確信できました。
大津線系統部分を大きくしてみました。「急」の文字が突き抜けているタイプで古い字体ですが、昭和30年代ではまだ良く見かけました。石山寺に到着したら、運転士はポールを上げ車掌はポールを下げ、この方向板を裏返して掲示したと思いますが、不思議なことに三条行急行の方向板の記憶がほとんどありません。同じ地色と文字色で「三条」だったのか旧字体「三條」だったのか、「京都三條」だったのか…
右側の急行板「大津」表示も「浜大津」でないのが気になりますが、このくらいにしておきます。