2021年01月24日

叡電124号

1月23日土曜日、所属クラブの NetMeeting 、40回目です。

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今回は京都隧道倶楽部のH氏をゲストにお迎えしました。

まだ続けられそうなので日付遊びネタ、1月24日です。嵐電、叡電、嵐電ときたので今回は叡電の順番かな。
ポール時代最後の頃ですが、ポール自体はホイール式からスライダ式に取り替えられています。京阪大津線から回ってきたものです。

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1978年9月23日 鞍馬行  デナ126+124  市原

午後の鞍馬行きは空いていますが、出町柳行きはたくさん乗ってます。 
124号は鞍馬側は非貫通のまま、出町柳側を貫通化改造されています。この写真では124号の貫通側を先頭にしているので、パンタ化2連固定化改造過程の途中のような状態と思われます。パンタはまだ取り付けられていませんが、出町柳側にパンタ用歩み板がついてます。

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1978年9月23日 鞍馬行  デナ126+124  市原
上と同じ編成が戻ってきました。展望立席は混雑。

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1988年5月19日 出町柳  三世代の叡電がそろったところ
左 戦前製デナ21形  戦後製デオ300形  冷房車デオ710形

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1988年8月14日 デナ124+122  宝ヶ池
お盆の頃、八瀬遊園系統に2連で入っていた。
2021年01月24日 23:00 | コメント(2) | 叡電
この記事へのコメント
叡電は'78年でもポール集電なのですね。2連で使うときには前車と通線していたのでしょうかね?
Posted by ム at 2021年01月25日 12:49
>ムさん
ポールからパンタに切り替える時ですね。2連では母線をつないでいました。京阪大津線も2連では後部車だけ上げていました。
Posted by ヤマ at 2021年01月27日 23:10
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