しぶとくまだやってます日付遊びネタ、何とか見つけ出してきた127です。
1972年2月23日 桂駅 嵐山行き普通 127ほか
桂駅を発車して勾配を上ろうかというところ。P−6 100系の4連ですが、100-1550-100-1500の2M2T編成です。1973年4月に阪急電鉄へ変更したので、まだ京阪神急行電鉄の時代です。
この時期は4〜5連で本線普通や嵐山線の主力であり、千里線にも7連で入っていました。しかし1972年秋の台風による安威川橋梁の被害により本線運用に入れなくなり、その後一気に廃車が進んで京阪神急行の社名とともに終焉となりました。
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すぐに消えていった車輛」という印象が一番
強いですね。
まあ、「新京阪 (戦後になっても大人はこう
呼んでた)」って、当時は 2800 しか乗ったこと
ほぼないですけど。
阪神間の人にとってはP-6のことはそれほど強い印象の電車ではないのかもしれませんね。
子どもの頃は大宮駅まで市電で行って乗り換えないと「新京阪」には乗れないので、徒歩で行ける京阪電車の方が身近だったのです。地下線を轟音で火花散らしながら走るP-6は恐ろしげなものでもありました。