2021年06月01日

甦る江若線路跡

比良−近江舞子の江若鉄道線路跡について検証してみます。

近江木戸−雄松(近江舞子)は大正15年8月11日開通しています。
昭和6年1月江若鉄道が近江今津まで開通した頃の地形図です。この地図では、雄松駅は近江舞子に改称されています。近江舞子南口は昭和28年の開業なので、この地図ではまだ存在しません。
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大日本帝國陸地測量部 1/50000 北小松
明治26年測量大正9年修正測圖昭和7年鐵道補入昭和8年7月25日印刷同7月30日発行

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1947年昭和22年11月3日米軍撮影 国土地理院地図空中写真閲覧サービスより
線路両側は耕作地として使われているようです。

廃止前に現地で撮影したものです。江州米の稲穂が実っています。
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1968年8月18日撮影 近江舞子南口−近江舞子
夏ダイヤの客車列車が近江舞子駅へ進入します。

1969年昭和44年に鉄道廃止後、線路ははずされましたが、比良−近江舞子南口−近江舞子の湾曲したルートは湖西線に利用されることなく放置状態となりました。
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国土地理院 昭和45年8月発行 1/50000 北小松
江若鉄道廃止後、湖西線は建設途上で地図にはまだ現れず。

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国土地理院 昭和51年10月発行 1/50000 北小松
湖西線開業後。 線路跡を道路に利用しようかという雰囲気は読み取れる。

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昭和50年の空中写真では線路跡がくっきりとわかる状態で残っています。線路跡から内湖のエリアは利用されていない状態でした。

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国土地理院 平成18年9月発行 1/25000 比良山

その後、北小松−近江舞子−近江舞子南口−比良−青柳ケ浜の区間、江若鉄道線路跡を利用して県道307号北小松大物線が整備されました。県道307号は平成22年空中写真で見えるように、途中まで江若鉄道線路跡を利用していますが、途中から方向を変えて線路跡を利用することなく、湖西線横の道へ向かっています。

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国土地理院 平成28年5月発行 1/25000 比良山
江若線路跡から内湖のエリアは、京阪不動産が取得していたようですが50年間手つかずで放置され、線路跡は自然な植生の中へ埋もれていきました。線路があったことを知る者が空中写真をみると、これが線路だったというのがわかりますが、現地の雑然とした植生の中で線路跡を確認するのはかなり困難なことでした。

2019年ころから着手されたリゾート開発工事はハイピッチで進み、「エバーグレイズ琵琶湖」として2021年4月20日に開業。
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開発工事着工前の解説画像で、「エバーグレイズ琵琶湖」のマーキングがある。
荒れ地の中に横方向に通った線路跡が見られる。

リゾート完成後、エリア内の歩道として線路跡が利用されているように見受けられます。水路をまたぐ橋が整備されていますが、江若時代の橋台が使われているのか、写真で検証してみましょう。
」の字ようにクロスしているところに架かっていた橋です。
20210531c_近江舞子−南口.jpg
「近畿の鉄道ファン(湖西線民)」さんが撮影されたエリア内の橋の画像をお借りしてきました。

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1968年8月18日撮影 同じ橋台の構成になっているので、そのまま利用されているようです。橋の両側に延びている歩道はあきらかに路盤跡地利用でしょう。

江若鉄道廃線後放置された荒地の中で存在していたこの橋台が、リゾート開発で壊されず再利用され、線路跡も歩道として甦ったことになります。
公式広報の中にも「半世紀手つかずの圧倒的な自然を感じる冒険へ」というフレーズが用いられています。

できれば近いうちに是非歩いてみたいと思いますが、しかし、このリゾート施設を利用することはないでしょうなぁ。
うーん、もしかして会員とかにならないと入れないのかな?

2021年06月01日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般
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