記念日ですが外食でなくおうちでケーキとなりました。
45年らしい。
日本塗料工業史、車両塗装の變遷 続きです。
第二節 大正時代
1.半鋼製客車及び電車の出現に依り再び油性下地ペイントワニス塗粧法
大正11年頃、神戸市電で半鋼製電車を製作したのに初まり、電車の鋼製化が流行して来た。鉄道省に於いても研究の結果、昭和2、3年頃客車、電車、共半鋼製車輛と成つたため、外部塗粧法を改める必要が有つた。木製車輛に最大の高架を上げた漆塗粧法は鋼板に対して果して同じ様な結果が得られるか、此の点に付いて種々検討されたが、次の結論を得た。即ち木材には含有する水分及び樹脂の湧出を防ぐため絶対漆が必要で有るが鋼板には其の必要が無くなる計りでなく、漆下地を施し漆塗仕上を行えば却つて鋼板の膨張率が影響して亀裂及び剥離の恐れが有るのではないか。以上の理由で半鋼製車輛の外部塗粧法は再び昔の「油性下地ペイントワニス塗粧法」に戻った。
木製の当時は、木材の乾燥、樹脂の含有等の処置に相当悩まされたが、鋼板に成つて錆落しに如何なる方法を取るか、又、塗粧後、錆の発生を防止する基礎塗粧法を如何にすべきか、各方面で研究された。ワイヤブラシュで錆を落す方法、金剛砂、砥石で鉄の表面を磨きスケルを取り去る方法、硝硫酸の水溶液に浸漬し錆を落す方法、サンドブラスト(砂吹)に依るスケルを取り去る方法、等種々研究されたが、サンドブラストに依る除錆方法が一番完全である事が判明した。日本車輛会社ではN.G.Y式鋼製車輛塗粧法なるものを考案し、パテントを出願したが或事情で出願を取下げた。然し其の塗粧法が鉄道省の鋼製客車及び電車の塗粧法を構成している。
其の頃、神戸市電の新造電車10輛の注文を受け、外部塗粧法は鉄板の部品を取付け、前に焼付漆塗を施したものを骨組に取付け、組立を終り、油性下地の上、ペイントワニス仕上にせよとの指示が有つた。元来、鉄の発錆を防止する方法として、渡金法と塗粧法とあるが、塗粧法としては光明丹ペイント(鉛丹)クロミオンペイント、グラファイトペイント、鉛粉塗料、錆止ペイント等々種々雑多であるが、油性ペイントにて仕上塗をする場合は、前記錆止塗料を使用して差支え無いが、客車、電車、或は自動車の様に錆止塗料の上に下地塗料を施すものには、一般の錆止塗料では、ボイル油が多量に混入されているから、其の上へ油性パテ等乾きの早いものを厚く篦付けすると、必ず亀裂を生ずるから、早乾性(ボイル油をゴールドサイズ及びコパルワニスに置替たもの)の錆止塗料を塗布せねばならない。防錆の目的を達するには鉄板の表面に錆止塗料を塗布し、適度な皮膜の構成に依り水分の浸入を防止する事に依る。昔鎧カブトの鉄製品には漆が塗つてあるが、未だに発錆していないから、錆止塗料には漆が良いと云う説を元鉄道省大臣官房研究所の長屋修吉に聞いた事が有る。神戸市電が外板の錆止に漆の焼付塗を施せとの意見も、意義あるものと思う。然し鉄板表面にはスケルが付いている。其のスケルを砂吹等に依り完全に取り去つてから焼付漆を施せば良いが、其の儘で表面の錆のみ綺麗に落しても、焼付塗を行つた場合、熱のためにスケルが僅かに浮き上つて(目に感じない程度)塗料と鉄板の間に残存する事に成り、塗装完了後数ヶ月で剥離する恐れが多分に有るから、焼付塗より日本車輛会社のN.G.Y式塗粧法が採用されるようになつた。
1.半鋼製客車及び電車の出現に依り再び油性下地ペイントワニス塗粧法
大正11年頃、神戸市電で半鋼製電車を製作したのに初まり、電車の鋼製化が流行して来た。鉄道省に於いても研究の結果、昭和2、3年頃客車、電車、共半鋼製車輛と成つたため、外部塗粧法を改める必要が有つた。木製車輛に最大の高架を上げた漆塗粧法は鋼板に対して果して同じ様な結果が得られるか、此の点に付いて種々検討されたが、次の結論を得た。即ち木材には含有する水分及び樹脂の湧出を防ぐため絶対漆が必要で有るが鋼板には其の必要が無くなる計りでなく、漆下地を施し漆塗仕上を行えば却つて鋼板の膨張率が影響して亀裂及び剥離の恐れが有るのではないか。以上の理由で半鋼製車輛の外部塗粧法は再び昔の「油性下地ペイントワニス塗粧法」に戻った。
木製の当時は、木材の乾燥、樹脂の含有等の処置に相当悩まされたが、鋼板に成つて錆落しに如何なる方法を取るか、又、塗粧後、錆の発生を防止する基礎塗粧法を如何にすべきか、各方面で研究された。ワイヤブラシュで錆を落す方法、金剛砂、砥石で鉄の表面を磨きスケルを取り去る方法、硝硫酸の水溶液に浸漬し錆を落す方法、サンドブラスト(砂吹)に依るスケルを取り去る方法、等種々研究されたが、サンドブラストに依る除錆方法が一番完全である事が判明した。日本車輛会社ではN.G.Y式鋼製車輛塗粧法なるものを考案し、パテントを出願したが或事情で出願を取下げた。然し其の塗粧法が鉄道省の鋼製客車及び電車の塗粧法を構成している。
其の頃、神戸市電の新造電車10輛の注文を受け、外部塗粧法は鉄板の部品を取付け、前に焼付漆塗を施したものを骨組に取付け、組立を終り、油性下地の上、ペイントワニス仕上にせよとの指示が有つた。元来、鉄の発錆を防止する方法として、渡金法と塗粧法とあるが、塗粧法としては光明丹ペイント(鉛丹)クロミオンペイント、グラファイトペイント、鉛粉塗料、錆止ペイント等々種々雑多であるが、油性ペイントにて仕上塗をする場合は、前記錆止塗料を使用して差支え無いが、客車、電車、或は自動車の様に錆止塗料の上に下地塗料を施すものには、一般の錆止塗料では、ボイル油が多量に混入されているから、其の上へ油性パテ等乾きの早いものを厚く篦付けすると、必ず亀裂を生ずるから、早乾性(ボイル油をゴールドサイズ及びコパルワニスに置替たもの)の錆止塗料を塗布せねばならない。防錆の目的を達するには鉄板の表面に錆止塗料を塗布し、適度な皮膜の構成に依り水分の浸入を防止する事に依る。昔鎧カブトの鉄製品には漆が塗つてあるが、未だに発錆していないから、錆止塗料には漆が良いと云う説を元鉄道省大臣官房研究所の長屋修吉に聞いた事が有る。神戸市電が外板の錆止に漆の焼付塗を施せとの意見も、意義あるものと思う。然し鉄板表面にはスケルが付いている。其のスケルを砂吹等に依り完全に取り去つてから焼付漆を施せば良いが、其の儘で表面の錆のみ綺麗に落しても、焼付塗を行つた場合、熱のためにスケルが僅かに浮き上つて(目に感じない程度)塗料と鉄板の間に残存する事に成り、塗装完了後数ヶ月で剥離する恐れが多分に有るから、焼付塗より日本車輛会社のN.G.Y式塗粧法が採用されるようになつた。
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これによると外板を漆塗装したのは、およそ明治末期の木造車〜昭和初期の半鋼車くらいの期間という認識でよいのかなぁ。
1261〜1262ページ
-------------------------鉄板の表面を砂吹きすると、スケルが取去られて無数の小さなピンホールが出来、梨子地の様な面に成る。そこへペースト状態の塗料を塗布する場合は、其の塗料がピンホールの奥まで侵入せずして乾燥する故に、ピンホールの中に空間が出来、塗粧後寒暖の変化に依り其の空間に瓦斯を発生し、錆を生じ遂に塗面を侵す憂いが有る。N.G.Y式塗粧法は砂吹すると、直ちにリクイド状の錆止液を塗布し、古布で表面を磨擦し、其の液がピンホールの奥まで完全に侵入させ、乾燥後ペースト状態の塗料即ち地肌塗料を塗布するのである。恰も外科医師が切傷を治療するに当り、膏薬を貼付して直す旧式な方法と、傷の中へガーゼを差入れ患部の奥から治療する方法で、前者は場合に依り化膿するも、後者は根本的に治療するから其の憂いは無い。N.G.Y式塗粧法は此の原理に基き考案した塗粧法である。
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リクイド状(liquid)=リキッド状=流動性を持つ液状、液体状
リクイド状(liquid)=リキッド状=流動性を持つ液状、液体状
N.G.Y式が何の略か…Nは日本車輛のNだろうなと推察したけど、もしかして英語とかではなく人名かも、と考えると長屋修吉氏のことかな…ながや=N.G.Yかな。