
1973年7月8日撮影 駅がどこかわかりません 区間快速 天王寺行

1973年7月8日撮影 山中渓駅 区間快速 和歌山行
貫通扉の窓を開けてますね。ポール時代の京津線みたいです。
ブログのファイル容量が限界に近づいてきたので、古いファイルから整理しようかと考えています。動画をかなり置いているので、そのあたりを静止画化していけば、多少の軽減になるかと思います。
タグ:旧型国電
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上の写真は、線路配置から東岸和田か熊取駅ではないでしょうか?
東岸和田か熊取…熊取の可能性が高いような気がします。
嵯峨野線複線化関係で見させてもらっています。
1枚目の写真ですが、おそらく和泉砂川駅の和歌山方面
ホームの和歌山寄りで撮影されたものではないでしょうか?
阪和線内の他の副本線がある駅は、分岐→すぐにホームに
掛かりますが、和泉砂川の和歌山側だけは貨物輸送が
あった頃の名残か、かなり遠くで分岐し踏切を渡って
ホームに掛かる構造ですので、和泉砂川では無いかと
思います。
1枚目の写真は、和泉砂川の和歌山よりですね。発車してしばらくして坂になるのと、分岐合流前に踏切が存在してますので。退避可能駅でこの構造は砂川だけのはずです。
私の実家は阪和線沿線なのですが、生まれた頃には旧国はすでにおらず区間快速=103系で育ちましたので、このようなお写真は逆に新鮮です。
地図とか航空写真とかも見てみました。
たしかに和歌山側が長くなってました。
貨物列車が待避するための長さを確保していたのでしょうか。
和泉砂川駅ということでキマリですね。