2009年09月25日

阪和線区間快速

探したついでに、ツリカケ旧国の区間快速です。

20090925a.jpg
1973年7月8日撮影 駅がどこかわかりません 区間快速 天王寺行

20090925b.jpg
1973年7月8日撮影 山中渓駅 区間快速 和歌山行
貫通扉の窓を開けてますね。ポール時代の京津線みたいです。

ブログのファイル容量が限界に近づいてきたので、古いファイルから整理しようかと考えています。動画をかなり置いているので、そのあたりを静止画化していけば、多少の軽減になるかと思います。
 
タグ:旧型国電
2009年09月25日 23:50 | コメント(5) | 古いネガから
この記事へのコメント
山中渓駅そのものは昔と雰囲気が変わってませんね。ヤマさんの写真に写る阪和電鉄時代からのトラス組の架線柱も健在です。
上の写真は、線路配置から東岸和田か熊取駅ではないでしょうか?
Posted by なかっちょ at 2009年09月26日 13:47
私鉄の架線柱はそれぞれ独特の組み方があるようですね。
東岸和田か熊取…熊取の可能性が高いような気がします。
Posted by ヤマ at 2009年09月27日 00:10
はじめまして
嵯峨野線複線化関係で見させてもらっています。

1枚目の写真ですが、おそらく和泉砂川駅の和歌山方面
ホームの和歌山寄りで撮影されたものではないでしょうか?

阪和線内の他の副本線がある駅は、分岐→すぐにホームに
掛かりますが、和泉砂川の和歌山側だけは貨物輸送が
あった頃の名残か、かなり遠くで分岐し踏切を渡って
ホームに掛かる構造ですので、和泉砂川では無いかと
思います。
Posted by リョウ at 2009年09月27日 01:17
はじめまして。

1枚目の写真は、和泉砂川の和歌山よりですね。発車してしばらくして坂になるのと、分岐合流前に踏切が存在してますので。退避可能駅でこの構造は砂川だけのはずです。

私の実家は阪和線沿線なのですが、生まれた頃には旧国はすでにおらず区間快速=103系で育ちましたので、このようなお写真は逆に新鮮です。
Posted by トモゾウ at 2009年09月27日 10:01
リョウさん、トモゾウさんコメントありがとうございます。
地図とか航空写真とかも見てみました。
たしかに和歌山側が長くなってました。
貨物列車が待避するための長さを確保していたのでしょうか。
和泉砂川駅ということでキマリですね。
Posted by ヤマ at 2009年09月27日 17:40
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