2020年10月14日

はじめのダイヤ

鉄道の日、ということで琴電の1014を貼ろうかと考えましたが、気を取り直してまずは原点の画像から。

20201014b_20191208.jpg
 2019年12月8日撮影

さて、新橋−横濱間が正式開業した時の列車ダイヤはどうなっていたでしょうか。
創業当時列車運行計画を担当していたページさんは、秘密裏に列車ダイヤを作り、そこから読み取った時刻表だけを現場に提供していたようです。なので開業時のダイヤは文書保管されてないですね。
しかし、提供された時刻表は史料として残っており、大正出版から「史料鉄道時刻表」として出版掲載されています。またネットで検索すると、国会図書館の「近代デジタルライブラリ」に鉄道開業時の時刻表があります。

20201014c_.jpg
国会図書館の「近代デジタルライブラリ」より引用

縦書きで漢数字12時間制で書かれ、「午前八字」「三字十七分」のように、「時」ではなく「字」が使われています。新橋−横濱間で駅は全部で6ヶ所、この時刻表からは駅間距離はわかりません。この時刻表から直接ダイヤを作っても良いのですが、わかりやすくするため一旦横書きアラビア数字表現の時刻表にしてみます。

20201014d.jpg
上下列車とも8時以降ジャスト0分の発車になっており、新橋−横濱間の所要期間は53分で、1日9往復。当時の新橋駅は元の汐留駅、横濱駅は現在の桜木町駅にあたります。
開業当時は単線の線路だったので、新橋と横浜を同時に発車した列車は、どこかの駅で行き違い、いわゆる交換をすることになります。時刻表を見ると、各時間帯の上下列車は川崎駅の発車時刻が同じであり、川崎駅で交換を行うようになっていました。この時刻表データをもとに列車ダイヤを書いてみると下記のようになります。

20201014e.jpg
すべての列車が川崎駅で交換していたことがわかります。12時〜14時の間は列車の設定がありません。職員の休憩や機関車の点検整備をしていたのではないかと思われます。

 列車運行をもう少し詳しく考察してみます。川崎駅での交換では発車時刻しかわからないので、上下列車が同時刻に到着発車するような書き方になっています。この列車交換停車の時間に関して、「史料鉄道時刻表」に岩倉使節団が乗車した列車の史料があります。その中に、川崎で品川行き列車を五分待避して行き違いを行う意の表記があります。

20201014f.jpg
 史料鉄道時刻表 から引用 
品川−横濱で80分かかっています。試運転が行われていた時期らしいですが、開業後の定期列車に比べると遅いです。
ともあれ、これを根拠として川崎での交換停車を5分の設定とし、川崎駅の時刻を毎時21分着26分発と設定してみます。

20201014g.jpg
このダイヤで列車は何編成必要か考えてみましょう。
創業時の列車は編成そのままを往復運用しており、両端の駅では53分着の00分発ですから、7分で折り返せば2編成で運用が可能です。しかし旅客の乗降や機関車の機回し、転車台での転向、連結して仕立てるには7分での折返しは厳しい時間です。牽引してきた機関車は切り離して留置、別の機関車を進行方向につないで仕立てる方法もありますが、前掲時刻表には「乗車セント欲スル者ハ遅クトモ此ノ表示ノ時刻ヨリ十分前ニ(ステイション)ニ來タリ切手買入其他ノ手都合ヲ為スヘシ」と乗客の行動規定を書いてますので、7分折返しではなく、もう少しゆとりを持って運用していたのではないかと考えられます。これらから、2編成で直近時刻での折り返し運用ではなく、1時間7分折返しとして都合4編成の運用と考えられます。
一方、当時の機関車と客車の数は、軸配置1B形の蒸気機関車が10両、2軸で全長5〜7m程度の客車が総数58両、貨車は75両、すべてイギリスから輸入されました。乗降場(ホーム)長さは新橋152m、横浜101m、中間駅76mで作られており、12両連結程度まではホームで乗降可能。
当時の客車は手動扉で係員が外から施錠していたので、到着から乗客の乗降、閉扉確認して発車となるので、各駅の停車時分もそれなりに必要となります。この停車時間を2分と設定し、4編成運用でダイヤを書いてみます。

20201014h.jpg
当時の新橋−横濱間の距離は29kmで所要時間53分
 表定速度 29÷53×60=32.8km/hです。

停車時間が合計11分あるので、53−11=42分が実走行時間です。
平均速度 29÷42×60=41.4km/hとなります。
比較的平坦な京浜間と思われますが、Bタンク蒸機で2軸客貨車十数両牽引でこの速度は結構速い?

鉄道百年1972年時刻表の京浜東北線、新橋−桜木町間の営業キロは28.9kmで開業時とほぼ同じ。途中11駅停車で37分走行、
表定速度は28.9÷37×60=46.8km/h やっぱり103系でも電車は速い。

 お土産品です。
20201014k.jpg
ちょっと気になって明治村の蒸気機関車は機回しに何分くらいかかっているのか、動画を上げているところなどを見てみると、手動転車台での転向も1分程度で行われています。結構短時間でやってますね。牽引してきた機関車を切り離して、反対側に別の機関車を連結する方法なら同時進行も可能なので、7分折り返しで2編成運用をやっていた可能性もあるかなぁと考えてます。

参考資料・サイト
史料鉄道時刻表 大正出版
新日本鉄道史[上] 川上幸義 鉄道図書刊行会 1967年
日本国有鉄道百年写真史 日本国有鉄道 1972年
陸蒸気からひかりまで 片野正巳 赤井哲朗 機芸出版社 1965年
鉄道保安要史 久保田 博 鉄道ファン
国会国立図書館デジタルコレクション 法令全書 明治5年 出版者:内閣官報局
マイナビニュース のりもの 列車ダイヤを楽しもう
国鉄監修 時刻表 日本交通公社
タグ:ダイヤ
2020年10月14日 19:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年08月26日

ことでんの京急ロマンスカー

昨日掲載した裏表紙広告で、京急のロマンスカーのことを書きましたが、他のSNSでもコメントをいただきありがとうございます。
琴電に行った京急600を撮影したものがありました。でも25年以上前の写真で、長いこと行ってないですね。

20200826a_19940827_RDP2_0003.jpg
 1075−1076  片原町−瓦町  1994年8月24日撮影

ロングシート化されて琴電に来たので、ロマンスカーだったという意識はありませんでした。ちょっと調べてみたら、この編成は2011年に廃車になっていました。

デハ609→京急改番デハ705→琴電入線1075→廃車2011年
デハ612→京急改番デハ756→琴電入線1076→廃車2011年

1071〜1074はまだ残っているのでしょうか。公式HPに掲載してるから現役なんでしょうね。製造から60周年で4連運転があったそうですが、イベントに合わせて撮影に行くってのはしてないので、探せばわかるネットはありがたいことです。
タグ:京急 琴電
2020年08月26日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年08月19日

地鉄14790形

テーマじゃないけど地鉄を貼る、の続きです。

20200819a_14791_普通_稲荷町_19910824img_0014.jpg
 増結で使われている14791 普通 電鉄富山行 稲荷町 1991年8月24日撮影
14771として昭和30年(1955)に登場、地鉄初のカルダン駆動車です。登場時は1段窓でしたが、更新工事で2段窓アルミサッシになりました。前照灯も屋根中央に1灯でしたが、シールドビーム2灯になりました。


20200819b_14791_稲荷町車庫_19910824img_0014.jpg
 車庫へ戻る14791 回送 稲荷町 1991年8月24日撮影
台車も取り替えられてND706となりZリンク式牽引装置が設置され、さらに側受を撤去してダイヤフラム型空気ばねを支持するための支持座が台枠下方に突き出すように取り付けられています。
20200819c_14791屋根上_電鉄富山_19910824img_0023.jpg
 別の運用で待機中 14791 屋根上 電鉄富山  1991年8月24日撮影
 パンタはPT43の角カバー付きのようです。

20200819d_14792_稲荷町車庫_19910824img_0005.jpg
14790形ですがドア配置が異なる14792 稲荷町  1991年8月24日撮影
クハ171として昭和30年(1955)に登場、昭和33年(1958)に電装されモハ14772と改番されています。

20200819f_14792屋根上_電鉄富山_19910824img_0037.jpg
 14792の屋根上 電鉄富山 1991年8月24日撮影

110kW≒147馬力主電動機装備という、富山地鉄独特の意味づけがされています。しかし同じ規模の主電動機を装備する系列が新製されて行くにつれ番号の限界が生じてきたようで、14760形が増備されて14771を越えてしまうことになり、元祖で番号をつけていた14770形を14790形に改番してしまいました。
昭和30年(1955)製造 モハ14771
昭和56年(1981)改番 モハ14791
平成7年(1995)廃車

昭和30年(1955)製造 クハ171
昭和33年(1958)電装 モハ14772
昭和56年(1981)改番 モハ14792
平成9年(1997)廃車

タグ:富山地鉄
2020年08月19日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年08月18日

地鉄14780形

何のテーマでもないのですが、とある都合で出してきたので貼っときます。

20200816p_19910824img_0003.jpg
 富山地方鉄道 14781+181 普通 宇奈月温泉行 稲荷町駅 1991年8月24日撮影

20200816q_19910824img_0018.jpg
 富山地方鉄道 14782+182 普通 立山行 稲荷町駅 1991年8月24日撮影


ブォーンという走行音が独特の雰囲気で、TDKシステムのカルダン車では異質なイメージです。

タグ:富山地鉄
2020年08月18日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年07月20日

東北私鉄の2連

某SNSグループのお題に準備していた画像ですが、お題が変わってしまって投稿タイミングを失いました。自分のところにおいておくことにします。

20200714u_19720820img109.jpg
庄内交通湯野浜線 七窪−湯野浜温泉 デハ103−デハ101 1972年8月20日撮影

20200714w_19720821img_011.jpg
福島交通飯坂線 飯坂温泉駅 サハ3000形+モハ1203 1972年8月21日撮影

20200715p_19740904img_0014.jpg
津軽鉄道 津軽中里駅 キハ24000形+ナハフ1200形 1974年9月4日撮影


タグ:私鉄めぐり
2020年07月20日 23:00 | コメント(3) | 実物鉄道一般

2020年07月06日

ナローの日らしい

SNS界隈では #ナローの日 というのが盛況なようですので、自分の写真でもちょっと探してみました。

「ナロー」のとらえ方もさまざまな感覚があるようです。一応、標準軌と呼ばれる1435mmゲージより狭い軌間の鉄道として、できるだけまとめて掲載できそうなところを選びました。

20200706b_19770328img_0031.jpg
東洋活性白土専用線と国鉄の積み替えホーム
1977年3月28日撮影 糸魚川

20200706c_19770328img_0032.jpg
振り返ればこんな列車が来ます。 まぁ、両方ともナローゲージですけどねぇ…

20200706d_20190702.jpg
西大寺鉄道客車と井笠鉄道機関車をならべています。展示品ならではの線路。
2019年7月2日撮影 岡山

20200427_19740330EX60.jpg
東京都交通局 荒川線 町屋駅
右上の高架を走っているのは京成電鉄本線ですが、最初は都電と同じゲージで作ったけど、都営地下鉄・京浜急行との相互乗り入れのため標準軌に改軌しました。

5種のナローゲージと京成のスタンダードゲージ、三カ所で主要なゲージを巡ることができたかな。
2020年07月06日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年04月13日

旧東海道線山科駅跡

旧東海道線山科駅の状況を地図で確認してみました。今昔マップ on the web を利用しています。

20200413d.jpg
明治42年測量 大正元年8月30日発行 二万分の一 膳所
山科駅をはさんで、西に旧安祥寺川、東に山科川の橋梁があったようです。

20200413e.jpg
大正11年測圖 大正14年10月30日発行 1:25000 京都東南部
大正11年測圖なので、大正10年東海道線は新線経由となった後の図です。伏見経由の旧東海道線線路は放置されて築堤が残っている状態です。山科川は流路が変更され、旧安祥寺川との合流地点も旧東海道線の北側になっています。

20200413h.jpg
昭和6年部分修正 昭和7年10月30日発行 1:25000 京都東南部
旧安祥寺川の流路が整備されて、蛇行がなくなりました。

20200413f.jpg
昭和39年修正測図 昭和40年4月30日発行 1:25000 京都東南部
名神高速道路が作られました。高度経済成長期の始まりですが、人家は上の昭和7年とあまり変わってないようです。

20200413k.jpg
現在の国土地理院WEB地図です。神社仏閣以外はほとんど人家になりました。

20200413g.jpg
最近の地図に大正元年発行地形図を重ねあわせたものです。青色が現在の川の流路です。



2020年04月13日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年04月12日

髭茶屋曲線

掲載順が前後しますが、4月3日の旧東海道線大塚信号場の続きです。

20200411c.jpg
大塚信号場跡から山科小山へ向けて移動します。

20200411d.jpg
交差点を右へ。牛尾山法巖寺参詣道へ向かいます。

20200411e.jpg
参詣道を北へ向けて名神高速道路をくぐったところを右へ。

20200411f.jpg
先の方にミラーがありますが、その付近に右から左へ線路があったところです。

20200411g.jpg
ミラーの付近です。左の坂を上がってみると…

20200411n.jpg
南方向を向いています。真ん中奥の方から植樹されている付近を通って左の大津方向へ線路があったようですが、路盤跡はインターチェンジ造設時に崩されてしまったようです。

20200411h.jpg
線路はゆるい曲線で大津方向へ向かいます。地名を使って髭茶屋曲線とします。
もちろん25‰上り勾配が続きます。右の側壁を見ると勾配がわかります。左は勾配に沿ってフェンスが作られているようです。

20200411k.jpg
曲線と勾配が続きます。現在は住宅もあります。

20200411m.jpg
髭茶屋曲線の大津側は急な谷になっています。右側は名神高速道路です。線路があったときは、この先もう少し盛り土路盤が続いて、桜の木の先あたりで街道の東海道を越え、25‰勾配のまま谷あいへ入って行ったものと思われます。

20200411p.jpg
この坂を下りて、振り向いて見上げると、こんな地形です。
この道路は街道の東海道です。

今回の掲載はここまで。

タグ:旧東海道線
2020年04月12日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年04月11日

旧東海道線山科駅跡

4月10日、椥辻まで自動車の点検に行ったので、待ち時間に旧山科駅跡・名神起工の地へ行ってみました。

20200410f.jpg
3月26日に下り線を見に行きましたが、上り線にも記念碑があります。
画面で左手、向こうが大津方、手前、後ろ側が京都方向です。

20200410e.jpg
記念補セットの並びです。下り線とは若干違います。

20200410r.jpg
上り線の「名神起工の地」石碑です。中に写真が組み込まれています。

20200410g.jpg
今側道路の車線横にある巨大記念碑。「JH」マークと「MEISHIN」が刻されている。

20200410h.jpg
山科側堤防の桜は終わりに近づいているようです。

20200410n.jpg
名神高速道路をくぐって南側へ来てみました。旧東海道線築堤路盤跡を利用し手名神高速を作っています。山科川の流路は旧東海道線が開通した頃とは異なり、もう少し東側を流れていたようです。この橋の位置は旧東海道線旧山科駅の西側で、旧安祥寺川の流路にあたるようです。

20200410p.jpg
名神高速道路下り線の「名神起工の地」記念碑セットです。
改修前の山科川はこのあたりを流れていたことになります。

20200410s.jpg
下り線の「名神起工の地」石碑です。

20200410q.jpg
下り線車線横にある巨大記念碑。「JH」マークと「名神」こちらは漢字です。


2020年04月11日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年04月03日

旧東海道線大塚信号場跡

満開になってから長めに咲いているようです。

20200403aa.jpg
居住地近くの公園の桜、個人的標本木です。

官設鉄道旧東海道線めぐりです。WEB上ではわりとたくさん掲載が見られます。今日は自動車で行ってみました。

20200403g.jpg
旧山科駅跡付近です。南側下り線のフェンス越しのJHの石碑です。
3/26に徒歩で来たときには、名神高速道路上の石碑に気づかなかったので、もう一度来てみました。フェンス越しに下からも見える巨大な石碑が建てられています。高速バス山科バス停より西側なので、これを撮影するには名神を走行中に撮るしかないのかなと思われます。

20200403f.jpg
名神をくぐって北側上り線沿いの側道に出てみました。信号待ち停車中に撮影。
こちらにも「名神起工の地」標識と解説板があります。石碑もあるようですが、ここからはよく見えません。動いてしまったので自動車からの撮影はできませんでした。

旧東海道線線路跡の道路を走って大塚信号場跡へ向かいます。


20200403k.jpg
自動車を降りて徒歩にします。25‰だったということですが、徒歩でもかなりの勾配です。左側の建物基礎が水平になっていますが、このあたりまで大塚信号場の引上線だったのではないかと推察しています。

20200403a.jpg
左下へ向かう急勾配の道のそばに妙見寺があります。交差点擁護壁面に大塚信号場に関する案内板が取り付けられています。線路が境内の中を走っていたとは考えにくいので、歩道のあたりに引上線があったということでしょうか。

20200403b.jpg
大塚信号場跡の解説板です。

20200403m.jpg
解説板を拡大してみました。

お寺の方へ行ってみます。

20200403e.jpg
妙見寺は急勾配道路の北側に沿っていますが、境内は平地になっています。傾斜地を切り取って創建したのでしょうね。

20200403c.jpg
振り返って南をみると、鳥居があります。左(東)の石垣が大塚信号場の路盤だったかどうか? 石積み自体は比較的新しく見えます。左奥にレンガ積みの遺構があります。

20200403d.jpg
鳥居の中へ入って奥へ進むと、解説板写真と同様の現物があります。

20200403n.jpg
大日本帝国陸地測量部 二万分之一 膳所 の一部分 「村」の文字下が妙見寺 
明治42年測圖同45年製版大正元年八月三十日発行
旧東海道線の京都−大津間複線化は明治30年1897年に行われ、信号場は大正2年1913年に開設されているので、この地図の測量時期では複線化はされているが大塚信号場まだ作られてないという時期の地図です。
2020年04月03日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般