江若鉄道安曇川駅の線路配置について疑問点があります。
江若鉄道車両五十年に掲載されている「線路一覧略図」から、安曇川駅付近のところを切りだしたものです。
島式ホームをはさんで外側に側線があります。上にある貨物ホームに向かって近江今津側から分岐があり、貨物ホームへ達するところで終端になっています。
線路図と撮影画像の方向を揃えてみました。矢印部分の線路が撮影画像ではなくなっています。この線路図には作成年月が記載されていないので、時期の特定ができません。参考になるのは、となりの水尾駅に行き違い設備や側線が書かれています。自分の知っている水尾駅は行き違い設備は撤去されていて棒線駅になっていました。で、この撤去時期もわからないのです。
ウィキペディアの安曇川駅(江若鉄道)の項目には、鉄道ピクトリアル1967年の私鉄車両めぐり竹内龍三氏の記事から出典したものが掲載されています。これは両開きポイントで島式ホーム貨物側線有で書かれています。
しかし、廃止最後の頃に撮影されたビデオでは、両開きポイントでなく、下り本線側が直線でホームへ続いています。昭和44年7月に故沢源一氏が撮影されたもので、大津市歴史博物館企画・制作のDVD「映像でたどる大津の記録」に収録されている動画から切り出しました。
RMライブラリ251号36ページにも線路図が載っていますが、「線路一覧略図」から引用されたもののようで、貨物ホームへの分岐が書かれています。
京都大学の鉄道研究会雑誌にも河田耕一氏の作図が掲載されていますが、水尾駅と安曇川駅は江若史料と同様の配線になっています。しかし水尾駅には「無人交換設備無し」と注釈が入っています。河田耕一氏の調査は昭和34年/1959年6月ということです。
自分の写真は昭和38年/1963年なので、この期間に安曇川駅の側線撤去の変化があったのか…?
調べていくほど迷宮入りとなります。
タグ:江若鉄道