2022年11月29日

大津神戸間

明治16年8月1日改正のダイヤを作ってみました。
時刻表が市販されるようになったのは明治27年からで、それ以前の発車時刻情報は官報とか新聞とか地元の配布物などで広報されていたようです。

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ほぼ等間隔で「ダイヤ」と呼ぶにふさわしい形です。
京都−馬場間は稲荷経由の旧線、馬場でスイッチバックして湖岸の大津駅に至ります。この時代、大津−長濱は太湖汽船による船車連絡輸送が行われていました。

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琵琶湖で鉄道連絡船を運航していたのは明治13年に京都−大津間が敷かれてから明治22年の湖東線開通までの間なので、明治27年からの時刻表「汽車汽船旅行案内」の時点で掲載はありません。
現在の琵琶湖汽船は観光遊覧目的が主で移動交通として使われることはほとんどなさそうですが、船車連絡運輸をしていた太湖汽船時代はどんな運行をしていたのか。資料本を出してきましたが、読み進めるのは時間かかりそうです。

2022年11月29日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年11月26日

大塚信号所跡

とある同好会で旧東海道線の大塚信号所について現地訪問してみることになって、関係者とともに下見に行ってみました。

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京阪バスに乗ります。#21山科駅前から小山経由大宅行きです。
外環三条あたりから乗車の人も結構居ます。
小山あたりまででほぼ下車されて、残るは我々二人。

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明治に開通した旧東海道線に沿ってバスは走りますが、ここで新幹線を乗り越します。
新幹線を通すときに作ったのかな。

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妙見寺でバスを下車。上客ゼロで発車していきました。

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これが大塚信号所の路盤跡らしいです。
ブロック塀があって自分の背の高さではのぞき込めないのですが、手でカメラを差しのばして塀越しに撮影してみました。よく見ると向こうの方に扉があるようです。

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岩屋神社の参道を西へ歩く。写真は東向きに撮ってます。神社には行ってない。

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京阪バス大宅車庫をのぞく。名古屋急行電鉄の駅が計画されていた場所です。

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奈良街道の一里塚跡。

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旧山科駅跡まで歩きました。
一万歩行くかと思ったけど届かなかった。

乗車記録
醍醐9:49東西線5508山科
山科駅前10:20京阪バス2439妙見寺
妙見寺・・・・大宅車庫・・・・旧山科駅
小野14:19東西線5117醍醐

2022年11月26日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年10月22日

上から眺めてきた

とある回転式レストランへ行きました。

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京都−山科 東山トンネルに入る前です

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こんなところで上から撮影です。

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12:35 左端 新幹線  中 EF210のコンテナ貨物  右下 梅小路鉄博スチーム号

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12:37  東寺の塔と東海道新幹線上り  N700S

乗車記録
醍醐11:11東西線5508山科
山科11:29湖西線モハ225-414京都
京都15:19烏丸線1720烏丸御池
烏丸御池15:315217醍醐

タグ:新幹線 EF210
2022年10月22日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年06月16日

踏切矢印

少し前の大津会議で、踏切警報機の話題が出ました。
列車の進行方向を示す矢印灯ですが、上が上り列車で下が下り列車の方向である、という話を聞きました。

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京阪電車石山坂本線中ノ庄駅の踏切です。
左が石山寺、右が坂本比叡山口の方向です。
石山寺←坂本比叡山口が上り、石山寺→坂本比叡山口が下りなので、上側に上り、下側に下りがついています。

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中ノ庄駅反対側に回ってみました。
左が坂本比叡山口、右が石山寺の方向です。
たしかに、上が上り、下が下りになっています。

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で、阪急京都線南方駅東側の踏切です。
両方点灯してますが、矢印の方向は手前の警報機と向こうとで逆になってます。
まあ、来る方向と点灯が合っていれば、どっちが上でもかまわないっちゃあそうなんですが…、手前の線路が下になっているということかな…

大津の会議は京阪電車のことなので、京阪踏切だけのルールなのか?
ほかの踏切を観察する課題が拡がった。

タグ:阪急 京阪
2022年06月16日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年05月30日

DD5433を見に行く

DD54の組立の参考写真を撮りに行きたいという先輩と共に京都鉄博へ。

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解説表示

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ヘッドマーク掛けが微妙な位置にあります。
ヘッドマークの大きさが先にあるので、ナンバーの位置が微妙ということか。

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サイドビュー

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前面から側面にかけての面の取り方
エッチングのハンダ付けで組み合わせるとなると大変な構造です。

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屋根から側面へのつなぎ方

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ライトケースと手スリ
外側の手スリはライトケースに取り付けてあり、車体には貫通していない

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屋根上のようす  フックは片持ちになっている

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タブレットキャッチャー
グレイに塗り固められているが、キャッチバネは動作します。
タブレットをキャッチした後、取り外して車内にとりこんで確認するのが大変そうです。
キャッチしてから持ち込み時に落とした例とかあるのでしょうか。


乗車記録
醍醐9:07東西線5608六地蔵
JR六地蔵9:31快速右派221-46京都
京都9:53嵯峨野線クモハ221-68梅小路京都西
京都鉄道博物館−徒歩−京都
京都17:18烏丸線1713烏丸御池
烏丸御池17:25東西線5209醍醐

タグ:DD54
2022年05月30日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年05月17日

キハ07運転室

キハ07のことに戻します。レイル122号83ページの写真をお借りします。

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キハ07 41の運転室写真
配管の立ち上がりが物々しいです。ブレーキは電磁自動になっているようです。
よくわからないのが、右上の箱の上面についているレバーハンドル類です。
大きいレバーがスロットルでしょうか、右側は逆転器でしょうか。
スロットルは足踏みペダルだというのを何かで読んだこともあって、この07では三つのペダルがあります。左からクラッチ、笛、スロットルの順で右に変速レバーがあるという感じでしょうか。

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江若鉄道 キハ20 運転室 1967年1月15日 浜大津
三井寺下へ写真を撮りに行ったときに、浜大津−三井寺下間乗車した列車です。発車前に撮ったと思われます。
江若のキハ20は元国鉄キハ07 9←キハ42508←キハ42047
メーターパネルが取り付けられて圧力計が整然と並んでいます。
左端がブレーキ弁ハンドル、その右がスロットルレバーで前後というか扇形に動かすタイプ、その右が変速レバー

メーターパネルは江若で整備取付したのでしょうか。
国鉄の07とは違って見やすくて扱いやすい配置になっていると感じます。

この頃の電車たちでもメーターパネルがなくて配管むき出しの運転室が多かった中で、江若の気動車は機械式でもスッキリした運転室だったと感じます。
2022年05月17日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年05月14日

キハ23の方向転換

江若鉄道の実物の話になってしまって、模型はまったくできていませんが。
07形でキハ23の方向についても気になるところです。

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江若鉄道車輛五十年 P125 キハ23 昭和40年1月の姿 三井寺下

DRFCのサイトに書かれていた藤本哲男氏の解説
元国鉄キハ072(キハ42221→42501)で、昭和38年2月9日付遠江二俣区で廃車になり同年中に譲り受けている。
昭和39年12月2日とほぼ1年後の40年11月29日に撮影しているが、エンジンはもとより運転台機器、ヘッドライトがなくキサハ状態であった。譲り受け時よりこのような状態であったのか、入線後間もなく何かの事情で取り外したのか、今でも疑問に思っている。 

三井寺下留置線の東側民家を背に、西側から撮った写真と思われるので、左が近江今津方、右が浜大津方です。昭和40年1965年の時点ではエンジンが搭載されておらず、浜大津方を前位にして使用されていたようです。

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江若鉄道車輛五十年 P125 キハ23 昭和42年4月の姿 近江今津
左側が終端なので右が浜大津方、DMH17Bを搭載し前照灯も装備したキハになっています。車体を見ると中央扉戸袋が今津方に向いているので、今津方が前位になっています。
エンジン搭載時のときにでも方向転換を行ったのでしょうか。

江若の07形キハ18〜22は今津方前位で揃っていたので、キハ23も合わせるというようなことが行われたのかもしれません。江若内では07を方向転換できるような大きさのターンテーブルはないので、線路がつながっていて近くで方転できそうなところといえば梅小路機関区のターンテーブルか梅小路デルタ線くらいかなと思われます。エンジン搭載工事を向日町の大鉄車両でやったとすれば、そこで方転できたのかもしれません。


いずれも推測で、いつどこで方転?、というのはもうわからないのです。


2022年05月14日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年05月13日

キハ5121の図面書換

江若鉄道キハ5121の図面を書き換えてみました。

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図面画像を加工したものです。中央扉の戸袋窓と裾下がりの方向を合わせました。

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エンジンの向きと駆動軸もキハ18と合わせて浜大津方にしましたが、5121の床下写真は撮ってないので確認はとれません。


2022年05月13日 23:00 | コメント(2) | 実物鉄道一般

2022年05月12日

キハ5121の図面について

日付遊びではないですが、たまたま5月12日です。

江若鉄道の事故画像の関係でキハ18と19について調べていたら、どうも図面がおかしいのではないかという案件に当たってしまいました。
鉄道史資料保存会発行の「江若鉄道車輛五十年」という本ですが、図面と写真が掲載されています。その中のキハ18から改造されたキハ5121の図が実車と一致しないということです。

江若の07形は入線時の向きが今津方が前位になっています。中央扉の戸袋が今津方にあり、駆動軸が浜大津方にあるということです。

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キハ18の図面 左が今津方 右が浜大津方

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近江今津駅で撮影されたキハ18の写真 中央扉戸袋が今津方
実車と図面は一致しています

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キハ18を片運改造いたキハ5121 運転台が浜大津方
今津方運転台を撤去して切妻化改造
キハ18の写真と同じ向きです

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キハ5121の図面 左が今津方切妻 右の運転台が浜大津方
中央扉戸袋が浜大津方になって、エンジンが逆向きになっています。
実車と一致しないです。
まさか改造時に方向転換?
いやいや、現車がキハ18時代と同じ向きなのだから図面がまちがっています。

キハ19を改造したキハ5122はどうでしょうか。
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浜大津で撮影されたキハ19の写真 右が今津方で中央扉戸袋がある前位になっています。
07は車体中心で線対称なので、反対側も今津方に中央扉戸袋があります。

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キハ19の図面 左が前位で中央扉戸袋は今津側 右が浜大津側

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キハ5122の図面  キハ19の浜大津側運転台を撤去切妻化しています。

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三井寺下で撮影のキハ5122の写真 運転台は今津側で今津側に中央扉戸袋
実車と図面は一致しています。

本の図面は、おそらく会社作成の竣工図を使っていると思われるので、キハ5121の竣工図がまちがっていた…?

廃止されて50年以上経ってから、こんなことに気付いている始末です。

2022年05月12日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年05月11日

キハ07の横転事故

レイル122号キハ42000の本を少し読み進めました。
41ページに国鉄宮原線で発生した衝突横転事故の写真が載っています。

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1967年4月7日の事故で、キハ07は燃料タンクを上にして横転しています。すでにディーゼル機関に交換されたあとのことで、幸いにも燃料火災には至ってないです。台車や駆動系に損傷無く横転しただけなら燃料タンク損傷はなかったのだろうかなと思われます。

ところで、このような国鉄の事故の9年前に同じような横転事故が江若鉄道で起こっていました。

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鉄道ファン310号 1987年2月号 109ページ
1958年4月18日 西尾克三カ氏撮影
江若鉄道 北饗庭−近江今津 遮断機警報機なしの無人踏切でのトラックとの衝突事故
写真は右下方向が近江今津で左奥が北饗庭駅から浜大津方向
DD1351+キハ14形が救援に来ているようです。

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地図に書き込んでみました。撮影は近江今津方から浜大津方向へ撮られているようです。

この事故のことは江若関係の本ではあまり書かれていないようです。事故車両が何番だったのか、車輛の変遷などが書かれた本でも触れているものは見かけないようです。
江若鉄道にはキハ18〜24の7両もの07形が活躍していましたが、入線時期はかなり幅があります。事故の起こった日1958年4月18日の時点で在籍していた07形は、
キハ18←1953年自社整備←1948年事故廃車キハ42054←1937年日車
キハ19←1956年長門鉄道キハ11←1949年国鉄キハ42017←1936年日車
この2両だけです。キハ18かキハ19のどちらかが横転事故に遭っていたということになります。

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車輛の部分だけを大きくしてみました。車番がはっきりと読み取れないですね。
キハ18と19の違いは、19の窓には保護棒が付いていたということです。長門鉄道時代に取り付けられ、江若でもそのまま使用されていました。この写真の車輛では保護棒は確認できないのでキハ19ではない、ということで事故車はキハ18であろうという分析です。

キハ18は1948年(昭和23年)3月5日付けで事故により廃車になったキハ42054の車体を購入して自社で整備の上1953年(昭和28年)に竣工しています。事故廃車から復活したのに、またもや事故に遭うという歴史を背負っていることになります。この横転事故でどの程度の損傷があったのでしょうか。写真では中央ドアがはずれかけているようですが開いてはいないですね。乗客はどこから救出されたのか。下になった側は窓ガラス割れはあるでしょうね。
しかし廃車になることなく使用され続け、1966年には今津側切妻に改造されて5121号になってています。
床下機器をよく見るとラジエータが07形と異なるように見受けられます。07形では車体中央にレール方向で取り付けられていますが、この車輛では枕木方向にあって04形のようになっていると思われます。自社整備で復活しているので、そのあたりの違いが出ているのかもしれません。

2022年05月11日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般