2020年04月13日

旧東海道線山科駅跡

旧東海道線山科駅の状況を地図で確認してみました。今昔マップ on the web を利用しています。

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明治42年測量 大正元年8月30日発行 二万分の一 膳所
山科駅をはさんで、西に旧安祥寺川、東に山科川の橋梁があったようです。

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大正11年測圖 大正14年10月30日発行 1:25000 京都東南部
大正11年測圖なので、大正10年東海道線は新線経由となった後の図です。伏見経由の旧東海道線線路は放置されて築堤が残っている状態です。山科川は流路が変更され、旧安祥寺川との合流地点も旧東海道線の北側になっています。

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昭和6年部分修正 昭和7年10月30日発行 1:25000 京都東南部
旧安祥寺川の流路が整備されて、蛇行がなくなりました。

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昭和39年修正測図 昭和40年4月30日発行 1:25000 京都東南部
名神高速道路が作られました。高度経済成長期の始まりですが、人家は上の昭和7年とあまり変わってないようです。

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現在の国土地理院WEB地図です。神社仏閣以外はほとんど人家になりました。

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最近の地図に大正元年発行地形図を重ねあわせたものです。青色が現在の川の流路です。



2020年04月13日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年04月12日

髭茶屋曲線

掲載順が前後しますが、4月3日の旧東海道線大塚信号場の続きです。

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大塚信号場跡から山科小山へ向けて移動します。

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交差点を右へ。牛尾山法巖寺参詣道へ向かいます。

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参詣道を北へ向けて名神高速道路をくぐったところを右へ。

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先の方にミラーがありますが、その付近に右から左へ線路があったところです。

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ミラーの付近です。左の坂を上がってみると…

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南方向を向いています。真ん中奥の方から植樹されている付近を通って左の大津方向へ線路があったようですが、路盤跡はインターチェンジ造設時に崩されてしまったようです。

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線路はゆるい曲線で大津方向へ向かいます。地名を使って髭茶屋曲線とします。
もちろん25‰上り勾配が続きます。右の側壁を見ると勾配がわかります。左は勾配に沿ってフェンスが作られているようです。

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曲線と勾配が続きます。現在は住宅もあります。

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髭茶屋曲線の大津側は急な谷になっています。右側は名神高速道路です。線路があったときは、この先もう少し盛り土路盤が続いて、桜の木の先あたりで街道の東海道を越え、25‰勾配のまま谷あいへ入って行ったものと思われます。

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この坂を下りて、振り向いて見上げると、こんな地形です。
この道路は街道の東海道です。

今回の掲載はここまで。

タグ:旧東海道線
2020年04月12日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年04月11日

旧東海道線山科駅跡

4月10日、椥辻まで自動車の点検に行ったので、待ち時間に旧山科駅跡・名神起工の地へ行ってみました。

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3月26日に下り線を見に行きましたが、上り線にも記念碑があります。
画面で左手、向こうが大津方、手前、後ろ側が京都方向です。

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記念補セットの並びです。下り線とは若干違います。

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上り線の「名神起工の地」石碑です。中に写真が組み込まれています。

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今側道路の車線横にある巨大記念碑。「JH」マークと「MEISHIN」が刻されている。

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山科側堤防の桜は終わりに近づいているようです。

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名神高速道路をくぐって南側へ来てみました。旧東海道線築堤路盤跡を利用し手名神高速を作っています。山科川の流路は旧東海道線が開通した頃とは異なり、もう少し東側を流れていたようです。この橋の位置は旧東海道線旧山科駅の西側で、旧安祥寺川の流路にあたるようです。

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名神高速道路下り線の「名神起工の地」記念碑セットです。
改修前の山科川はこのあたりを流れていたことになります。

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下り線の「名神起工の地」石碑です。

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下り線車線横にある巨大記念碑。「JH」マークと「名神」こちらは漢字です。


2020年04月11日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年04月03日

旧東海道線大塚信号場跡

満開になってから長めに咲いているようです。

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居住地近くの公園の桜、個人的標本木です。

官設鉄道旧東海道線めぐりです。WEB上ではわりとたくさん掲載が見られます。今日は自動車で行ってみました。

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旧山科駅跡付近です。南側下り線のフェンス越しのJHの石碑です。
3/26に徒歩で来たときには、名神高速道路上の石碑に気づかなかったので、もう一度来てみました。フェンス越しに下からも見える巨大な石碑が建てられています。高速バス山科バス停より西側なので、これを撮影するには名神を走行中に撮るしかないのかなと思われます。

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名神をくぐって北側上り線沿いの側道に出てみました。信号待ち停車中に撮影。
こちらにも「名神起工の地」標識と解説板があります。石碑もあるようですが、ここからはよく見えません。動いてしまったので自動車からの撮影はできませんでした。

旧東海道線線路跡の道路を走って大塚信号場跡へ向かいます。


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自動車を降りて徒歩にします。25‰だったということですが、徒歩でもかなりの勾配です。左側の建物基礎が水平になっていますが、このあたりまで大塚信号場の引上線だったのではないかと推察しています。

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左下へ向かう急勾配の道のそばに妙見寺があります。交差点擁護壁面に大塚信号場に関する案内板が取り付けられています。線路が境内の中を走っていたとは考えにくいので、歩道のあたりに引上線があったということでしょうか。

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大塚信号場跡の解説板です。

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解説板を拡大してみました。

お寺の方へ行ってみます。

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妙見寺は急勾配道路の北側に沿っていますが、境内は平地になっています。傾斜地を切り取って創建したのでしょうね。

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振り返って南をみると、鳥居があります。左(東)の石垣が大塚信号場の路盤だったかどうか? 石積み自体は比較的新しく見えます。左奥にレンガ積みの遺構があります。

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鳥居の中へ入って奥へ進むと、解説板写真と同様の現物があります。

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大日本帝国陸地測量部 二万分之一 膳所 の一部分 「村」の文字下が妙見寺 
明治42年測圖同45年製版大正元年八月三十日発行
旧東海道線の京都−大津間複線化は明治30年1897年に行われ、信号場は大正2年1913年に開設されているので、この地図の測量時期では複線化はされているが大塚信号場まだ作られてないという時期の地図です。
2020年04月03日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年03月26日

旧東海道線山科駅跡

近所の万千代川の桜です。

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一部の枝だけ開いています。

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西側に面した方です。

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名神高速道路起工の地へ行ってみました。地下鉄小野駅から近いです。

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ここは官設鉄道旧東海道線の山科駅跡地でもあります。

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大きな解説パネルがあります。

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旧東海道線山科駅跡に関する解説部分です。

2020年03月26日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年03月01日

江若鉄道創立百周年記念切手

江若鉄道の会社創立は大正9年2月17日です。西暦1920年なので今年で100周年に当たります。

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こんな記念切手が発売されました。
2月25日から販売開始、1350シート、大津市、高島市、草津市の郵便局75局で販売

滋賀県の郵便局での販売なので、日本郵便の通販で購入しました。
わりとよく見かける写真もありますが、あまり見たことないのもあります。江若の代表的スタイルのキニ9〜13がないのが残念。
タグ:江若鉄道
2020年03月01日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年02月18日

天王寺支線

古いカラーネガスキャン作業の続きです。

1993年1月3日、住吉大社の帰りは南海電車天王寺支線です。南海本線天下茶屋から国鉄天王寺までを結んでいた線区ですが、1984年に天下茶屋−今池町が廃止され、南海と縁のなくなった今池町−天王寺間だけが残っていました。それがこの年の4月には廃止されてしまうことになり、最後のチャンスを見に来ました。

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1521系 両運が単行で仕事してました。  今池町  ガーダー上は阪堺線

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終点標識が見えます。 廃止が近いので撮影の人も多くなっています。

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ホームで待っていたら、阪堺線電車が通過。 上下ツーショットは難しい。

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そのあとどうしたか忘れましたが、新今宮で こうや号 を撮りました。

タグ:南海1521
2020年02月18日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年02月05日

江若ダイヤ

1月9日のびわ湖鉄道歴史研究会で配付された資料に、江若鉄道の大正13年11月1日改正時刻表がありました。

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時刻表復刻版戦前編に入っているようですが、自分は持ってないので未確認です。その資料を使って、Oudiaに入力してみました。

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この時期は三井寺下−和邇間が開通していました。車輛も少なくて、蒸気機関車3両、客車10両、貨車12両という陣容です。
2編成で運用できるようなダイヤで、叡山駅で行き違いをしていました。

2020年02月05日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2020年01月29日

跨線橋の高さ

先日の運転会で小菅氏が製作中の跨線橋を拝見しました。その設置をめぐって、線路を跨ぐ部分の高さをなるべく低くしたいがパンタ付きの車輛は通したい、という方針であることを伝えられました。
運転会当日は、各自の持参したパンタ付き車輛を実際に通してみて高さの状況を調べましたが、車輛限界や建築限界の規定はどうなっているのか、話題に上がりませんでした。そこで資料を調べてみました。

ネット上にもいろいろ出ているようですが、まずは自分の手持ち書籍から引用します。 第一法規発行 運輸省鉄道監督局 監修 「鉄道六法 1978」 からです。古い資料ではありますが、「国鉄時代」の規程がわかります。
車輛限界から先に書きます。

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日本国有鉄道建設規程 第三章 車輛 第一節 車輛限界
第五十六条 車輛ハ左ノ各号ニ掲グルモノヲ除キ直線軌道上正位ニ於テ第四図ニ示ス車輛限界外ニ出ザルモノタルコトヲ要ス
  (各号は掲載省略します)
註 架空電車線ニ依リ電気運転ヲ為ス車輛ノ屋上装置は車輛限界ノ示ス所ニ依リ其ノ基礎限界外ニ出ヅルコトヲ得レドモ架空電車線ニ依ル運転区間以外ノ以外ノ区間ヲ運転スル場合ヲ考慮シテ屋上装置を容易ニ取外シ又ハ集電装置ヲ折畳ミテ基礎限界内ニ収メ得ル構造ト為スベキモノトス

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第四図 車輛限界(単位粍) 〔第五十六条〕

関連して、架線(架空電車線)に関する高さの規程です。

日本国有鉄道建設規程 第四章 電気施設 第一節 電車線路及び饋電線路
第九十一条 電車線の高さは軌条面上五メートル以上五・四メートル以下としなければならない。ただし、隧道、雪覆、跨線橋、橋梁、乗降場上屋庇その他これらに類するもののある場所及びこれらに隣接する場所においては、その高さを四・五五メートル(踏切道における交流の電車線にあっては、四・八メートル)まで減ずることができる。

地方鉄道建設規程 第四章 電気施設 第一節 電車線路及び饋電線路
第六十五条 架空単線式の電車線(鋼索鉄道の電車線を除く。)の軌条面上の高さは、軌間が一・〇六七メートル又は一・四三五メートルの鉄道にあっては五メートル以上五・四メートル以下とし、軌間が〇・七六二メートルの鉄道にあっては五メートル以上五・二メートル以下としなければならない。ただし、隧道、雪覆、跨線橋、橋梁、乗降場上屋庇その他これらに類するもののある場所及びこれらに隣接する場所においては、その高さを走行する車両のうち集電装置を折りたたんだ場合の高さが最高であるものの高さに四百ミリメートル(変電所の饋電側に連絡遮断装置を設け、かつ、いずれの列車又は車両内からも変電所又は電力指令所に連絡通報できる通信設備を設けている鉄道においては、二百ミリメートル)を加えた高さまで減ずることができる。

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762ミリゲージ鉄道の架線高さも5m以上なので、北勢線などでパンタグラフがすごく高く上がっているように見えてしまうのですね。地方鉄道で架空電車線方式の車輛限界や建築限界の図を見つけることができませんでした。

続いて建築限界の規程です。

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日本国有鉄道建設規程 第二章 線路 第四節 建築限界
第十七条 建物其ノ他ノ建造物等ハ建築限界内ニ入ルコトヲ得ズ
第十八条 直線ニ於ケル建築限界ハ第一図ニ依ル

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第一図 建築限界(単位粍)〔第十八条〕

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第一図の凡例です。

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これらによると、国鉄私鉄とも1067mm軌間鉄道の架空電車線は5m以上5.4m以下で、跨線橋下では4550mmまで下げられるということです。跨線橋における建築限界は二点鎖線になるので、高さ5050mmまで下げられるとなります。500mmの間がありますが、架線支持物などのスペースということでしょうか。

さて、そのまま縮尺して模型にすると、架線を張らないでパンタを上げているので、問題が起きることになります。
2020年01月29日 23:00 | コメント(2) | 実物鉄道一般

2019年11月01日

五十年前

五十年前の昭和44年1969年10月31日、江若鉄道の営業最終日でした。翌11月1日にお別れ列車が走りました。
当時は高校生だったので、10月31日は金曜日、11月1日は土曜日で授業があるため、どちらの日も行くことは出来ませんでした。欠席してでも写真を取りに行く、という発想はありませんでした。

せめて記念乗車券くらいは自分で買いに行こう、と10月26日の日曜日に購入しています。
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発売最低額の浜大津−雄琴温泉間です。

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2枚購入して1枚に入挟してもらいました。

この日もこれを購入しただけで、写真は撮っていません。

江若写真はWebページの方へ掲載していますが、1枚くらい出しておきます。
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昭和43年4月21日撮影 浜大津駅


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 江若鉄道廃止は1969年10月31日ですが、翌11月1日に装飾された車輛でお別れ列車が運転されました。そのときのダイヤが鉄道ピクトリアル685号に掲載されています。京都大学鉄道研究会OBの西城浩志氏の記事中ですが、ピク誌掲載のダイヤは、西城氏が自動車で撮影取材されたスジが書き込まれており、少しわかりにくいものとなっています。
その掲載記事のダイヤを拡大コピーし、書き込まれていた時刻を読み出し、不明部分は推察も入れて交換駅がズレないように調整数字を入れて、ダイヤ作成ソフトOuDiaで作成したものです。

10月25日に作成掲載したものを少し改造しました。装飾花列車は赤色線で書いています。
車両の編成は6列車と10列車は確実ですが、他は推測や不明の状態です。
2019年11月01日 23:00 | コメント(1) | 実物鉄道一般