2022年05月11日

キハ07の横転事故

レイル122号キハ42000の本を少し読み進めました。
41ページに国鉄宮原線で発生した衝突横転事故の写真が載っています。

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1967年4月7日の事故で、キハ07は燃料タンクを上にして横転しています。すでにディーゼル機関に交換されたあとのことで、幸いにも燃料火災には至ってないです。台車や駆動系に損傷無く横転しただけなら燃料タンク損傷はなかったのだろうかなと思われます。

ところで、このような国鉄の事故の9年前に同じような横転事故が江若鉄道で起こっていました。

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鉄道ファン310号 1987年2月号 109ページ
1958年4月18日 西尾克三カ氏撮影
江若鉄道 北饗庭−近江今津 遮断機警報機なしの無人踏切でのトラックとの衝突事故
写真は右下方向が近江今津で左奥が北饗庭駅から浜大津方向
DD1351+キハ14形が救援に来ているようです。

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地図に書き込んでみました。撮影は近江今津方から浜大津方向へ撮られているようです。

この事故のことは江若関係の本ではあまり書かれていないようです。事故車両が何番だったのか、車輛の変遷などが書かれた本でも触れているものは見かけないようです。
江若鉄道にはキハ18〜24の7両もの07形が活躍していましたが、入線時期はかなり幅があります。事故の起こった日1958年4月18日の時点で在籍していた07形は、
キハ18←1953年自社整備←1948年事故廃車キハ42054←1937年日車
キハ19←1956年長門鉄道キハ11←1949年国鉄キハ42017←1936年日車
この2両だけです。キハ18かキハ19のどちらかが横転事故に遭っていたということになります。

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車輛の部分だけを大きくしてみました。車番がはっきりと読み取れないですね。
キハ18と19の違いは、19の窓には保護棒が付いていたということです。長門鉄道時代に取り付けられ、江若でもそのまま使用されていました。この写真の車輛では保護棒は確認できないのでキハ19ではない、ということで事故車はキハ18であろうという分析です。

キハ18は1948年(昭和23年)3月5日付けで事故により廃車になったキハ42054の車体を購入して自社で整備の上1953年(昭和28年)に竣工しています。事故廃車から復活したのに、またもや事故に遭うという歴史を背負っていることになります。この横転事故でどの程度の損傷があったのでしょうか。写真では中央ドアがはずれかけているようですが開いてはいないですね。乗客はどこから救出されたのか。下になった側は窓ガラス割れはあるでしょうね。
しかし廃車になることなく使用され続け、1966年には今津側切妻に改造されて5121号になってています。
床下機器をよく見るとラジエータが07形と異なるように見受けられます。07形では車体中央にレール方向で取り付けられていますが、この車輛では枕木方向にあって04形のようになっていると思われます。自社整備で復活しているので、そのあたりの違いが出ているのかもしれません。

2022年05月11日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年01月28日

1028床下機器

128が見当たらないので1028を探したら、こんなのしか撮れてなかった。

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高松琴平電鉄 1028号  瓦町駅

2022年01月28日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2022年01月24日

徳島県の気動車

徳島へ行ってきたわけではありません。

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手帳のペンホルダーが劣化してきたので、新品を購入しようと東急ハンズ京都店へ1/19に出かけたのですが、希望の品物が置いてない…見つけ出せなかったのかもでした。

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そんなわけで、ネット検索してポチッて入手できたのですが、徳島のお店だったようでイラスト入りの納品書が入ってました。

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これはなんでしょうね。最近の四国の車輛状況はよくわからないのですが、どうもキハ40かなぁというイラストです。オデコの寸法が広いのでよくわからなかったのですが、水色の塗り分けと両端2扉車なのでキハ40あたりかなと。

「電車ちゃう、汽車じゃ編」のサブタイトルや「正式名称は気動車というそうです」という解説文などが一般的な認識かなぁと思わせます。
2022年01月24日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2021年11月29日

地すべり見学

研究会の有志ツアーで社会見学に行きました。

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154キロポストの建つホーム、側壁にはスロープ跡があるようです。

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河内堅上駅にはためく幟

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資料地図 今昔マップon the webより
左:明治44年2月18日発行1:20000古市
右:現行地理院地図 同尺度連動

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現在線はカーブの先、大和川を渡ります。
明治25年の開通時は正面向こうの山へ進んで亀瀬隧道へ入っていました。

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このあたりの対岸(南側)に砂利採取場がありました。
大和川を吊り橋で越えて積み出し用ホッパで貨車に積んで運搬していたようです。

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48年前、1973年12月16日の撮影。積み出し用引込線があった。

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河内堅上駅配線図 1975年頃 左が奈良、右が大阪、上が南で大和川

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1974年頃の空中写真 今昔マップon the webより
左下が河内堅上駅、中央付近が採取場
本線から右に分岐した積み出し線の先にホッパがある

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第四大和川橋梁を見学

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第四大和川橋梁の橋脚に設置、2019年土木学会選奨土木遺産に指定

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旧線路跡を歩いて亀の瀬地すべり資料室へ向かう
この付近は急傾斜地崩壊危険区域に指定

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秋深まる亀の瀬

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亀の瀬地すべり資料室 館内に解説展示があります
管内で係員氏の解説の後、誘導されて見学に向かいました

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見学解説中の一シーン

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明治のトンネル見学中
歴史を経て発見された旧大阪鉄道亀瀬隧道坑内
頂部は蒸気機関車の排煙による煤が付着

地すべり対策事業の一部を説明を受けながら順次見学

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「亀の瀬」の名がついている元の亀岩


乗車記録
醍醐8:30東西線5517六地蔵
六地蔵8:41普通クモハ221-43木津
木津9:22大和路快速クモハ221-17王寺
王寺9:50普通クハ201-125河内堅上
河内堅上14:12普通クモハ221-37久宝寺
久宝寺14:28大和路快速モハ220-49新今宮
動物園前14:51堺筋線66302扇町
扇町16:35堺筋線66302北浜
北浜16:49特急8004中書島
中書島17:30普通13653六地蔵
六地蔵17:45東西線5204醍醐
2021年11月29日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2021年10月05日

阪急2300系と南海6000系

過去ログ追加作業続き、地味ですが一ヶ月分ずつ進めています。
2009年4月に入りました。

過去ログから一枚。

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2009年4月9日 阪急電車千里線南千里駅
2300系もまだ元気に走ってました。

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2009年4月9日 南海電車高野線6000系 河内長野駅
こちらはまだ現役で残って走ってますね。

2021年10月05日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2021年07月21日

夕張から岡臨への気動車

岡山臨港鐵道の写真は掲載作業を終わっていますが、夕張鉄道から水島臨海鉄道を経由して岡山臨港鐵道へきた7000形気動車の変遷を図版にしてみました。
RM LIBRARY 197 岡山臨港鐵道掲載の竣工図を加工しています。

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252 と 253

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301 153 302 夕張の急行編成

夕張鉄道キハ301、302は編成を組むことを前提に一方が湘南形一方を切妻貫通形で簡易運転台付きとしています。ナハニフ150形をはさんで3両編成で運転されていました。
夕張鉄道キハ252,253は両前面とも湘南形2枚窓非貫通両運車でしたが、252は事故で改造を受けて切妻貫通化されています。253は事故ではないですが252と同じく一方を切妻貫通化され、結果的に252.253.301.302は同形車体になってしまいました。岡臨には3両がやってきましたが、車体と床下の関係を見るとエンジンと駆動軸が3両とも異なるものとなっています。
ナハニフ153は南岡山の側線で長らく放置状態になっていました。いつ廃車されて解体が行われたのかわかりません。

参考文献
RM LIBRARY 197 岡山臨港鐵道 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング
レイル No.21北線路 湯口 徹著 プレス・アイゼンバーン
レイル No.29瀬戸の駅から 湯口 徹著 プレス・アイゼンバーン
RailMagazine No.11 ローカル私鉄・独り歩き8 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング
消えた轍1北海道 寺田裕一著 ネコ・パブリッシング
タグ:岡臨
2021年07月21日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2021年07月06日

ナローの日に

日付遊びネタが続きます。
7月6日はナローの日ということらしいですが、あえて標準軌の軌道線電車を2題。

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京都市交通局 700形 706号 東本願寺前 1973年12月2日

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長崎電気軌道 700形 706号 長崎駅前  1981年2月13日

もひとつおまけに、標準軌の高速電車を。
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阪急電鉄神戸線 7000系 7006F 普通 梅田行 神崎川  1996年10月10日


ちょっと申し訳ないので、ナローの機関車も。
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ED76 20 宮崎機関区  1981年2月15日

2021年07月06日 21:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2021年06月28日

古い連結器

少し前のネットミーティングで、シャロン式自動連結器を導入してみたという話が出たので、自分の撮影画像から探してみました。

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江若鉄道 キハ17+ハフ2 場所不明  1965年頃
キハ17は水津式自連 ハフ2はシャロン式自連 ブレーキ管つながってないな。


20210628q_19960728img03_鹿島鉄道常陸小川.jpg
鹿島鉄道 常陸小川駅の貨物側線です。 1996年7月28日撮影
左側はバラストを盛って終端標識を取り付けていますが、右側は連結器が取付られています。

20210628r_19960728img02_鹿島鉄道常陸小川.jpg
近寄ってみると、連結器のロックピンのところがモコッと盛り上がっている。

20210628s_19960728img01_鹿島鉄道常陸小川.jpg
やっぱり、シャロン式自連だった。 胴受けと壁面にすきまがあるのはなぜ??


以下は貨物博物館の車輛です。 2018年6月30日撮影
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先頭は東武39号機  

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名鉄ト246 と 39号機 の連結部分です。

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左がト246 右が39号機  39号機の自連はアライアンス式

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左がト246 右が39号機  39号機の自連はアライアンス式

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鐵道省 形式 ワ1 ワ5490  右はワフ21120

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ワフのデッキから ワ5490の自連はシャロン式

加悦SL広場の保存車にもサンプルが多く残っていたはず。


タグ:カプラー
2021年06月28日 23:00 | コメント(4) | 実物鉄道一般

2021年06月01日

甦る江若線路跡

比良−近江舞子の江若鉄道線路跡について検証してみます。

近江木戸−雄松(近江舞子)は大正15年8月11日開通しています。
昭和6年1月江若鉄道が近江今津まで開通した頃の地形図です。この地図では、雄松駅は近江舞子に改称されています。近江舞子南口は昭和28年の開業なので、この地図ではまだ存在しません。
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大日本帝國陸地測量部 1/50000 北小松
明治26年測量大正9年修正測圖昭和7年鐵道補入昭和8年7月25日印刷同7月30日発行

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1947年昭和22年11月3日米軍撮影 国土地理院地図空中写真閲覧サービスより
線路両側は耕作地として使われているようです。

廃止前に現地で撮影したものです。江州米の稲穂が実っています。
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1968年8月18日撮影 近江舞子南口−近江舞子
夏ダイヤの客車列車が近江舞子駅へ進入します。

1969年昭和44年に鉄道廃止後、線路ははずされましたが、比良−近江舞子南口−近江舞子の湾曲したルートは湖西線に利用されることなく放置状態となりました。
20210601c_昭和45年8月30日発行.jpg
国土地理院 昭和45年8月発行 1/50000 北小松
江若鉄道廃止後、湖西線は建設途上で地図にはまだ現れず。

20210601d_昭和51年10月30日発行.jpg
国土地理院 昭和51年10月発行 1/50000 北小松
湖西線開業後。 線路跡を道路に利用しようかという雰囲気は読み取れる。

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昭和50年の空中写真では線路跡がくっきりとわかる状態で残っています。線路跡から内湖のエリアは利用されていない状態でした。

20210601e_平成18年9月1日発行.jpg
国土地理院 平成18年9月発行 1/25000 比良山

その後、北小松−近江舞子−近江舞子南口−比良−青柳ケ浜の区間、江若鉄道線路跡を利用して県道307号北小松大物線が整備されました。県道307号は平成22年空中写真で見えるように、途中まで江若鉄道線路跡を利用していますが、途中から方向を変えて線路跡を利用することなく、湖西線横の道へ向かっています。

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国土地理院 平成28年5月発行 1/25000 比良山
江若線路跡から内湖のエリアは、京阪不動産が取得していたようですが50年間手つかずで放置され、線路跡は自然な植生の中へ埋もれていきました。線路があったことを知る者が空中写真をみると、これが線路だったというのがわかりますが、現地の雑然とした植生の中で線路跡を確認するのはかなり困難なことでした。

2019年ころから着手されたリゾート開発工事はハイピッチで進み、「エバーグレイズ琵琶湖」として2021年4月20日に開業。
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開発工事着工前の解説画像で、「エバーグレイズ琵琶湖」のマーキングがある。
荒れ地の中に横方向に通った線路跡が見られる。

リゾート完成後、エリア内の歩道として線路跡が利用されているように見受けられます。水路をまたぐ橋が整備されていますが、江若時代の橋台が使われているのか、写真で検証してみましょう。
」の字ようにクロスしているところに架かっていた橋です。
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「近畿の鉄道ファン(湖西線民)」さんが撮影されたエリア内の橋の画像をお借りしてきました。

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1968年8月18日撮影 同じ橋台の構成になっているので、そのまま利用されているようです。橋の両側に延びている歩道はあきらかに路盤跡地利用でしょう。

江若鉄道廃線後放置された荒地の中で存在していたこの橋台が、リゾート開発で壊されず再利用され、線路跡も歩道として甦ったことになります。
公式広報の中にも「半世紀手つかずの圧倒的な自然を感じる冒険へ」というフレーズが用いられています。

できれば近いうちに是非歩いてみたいと思いますが、しかし、このリゾート施設を利用することはないでしょうなぁ。
うーん、もしかして会員とかにならないと入れないのかな?

2021年06月01日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般

2021年05月31日

湖西線から江若線路跡

5月28日、湖西線から江若鉄道線路跡探訪つづきです。

びわ湖鉄道歴史研究会 「江若鉄道沿線新旧地図重ね合わせ」 の資料を使いながら、地図と撮影画像を合わせてみます。

近江舞子−近江舞子南口
20210531d_近江舞子−南口.jpg
資料より、近江舞子
湖西線上り電車湖側車窓から撮影すると、ほぼ北→南方向の撮影となります。

近江舞子から上り新快速に乗って観察します。湖西線から見ると線路跡は徐々に西へ離れていきます。

近江舞子南口−比良間
20210531e_南口-比良.jpg
右へ大きくふくらんだところが近江舞子南口駅
線路跡は徐々に湖西線へ近づいてくる

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下り新快速車窓から若干後ろ向きに撮影 方角としては真東になる
自動車の走っている道が線路跡です

比良−青柳ケ浜
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右、曲線で湖西線と江若が少し離れるところに青柳ケ浜駅があった。
江若線路は天井川の大谷川をトンネルでくぐっていた。
湖西線は大谷川をPC橋梁で越えている。

20210528zb_比良−青柳が浜.jpg
大谷川堤防北側 湖西線線路真下が江若線路跡と思われる
右上方向に堤防下部へトンネルでくぐっていた。

20210528zc_大谷川橋梁.jpg
湖西線は大谷川を橋梁で越える 横の道路橋は江若線路跡ではない
トンネル遺構は探すことは困難なようだ

青柳ケ浜−近江木戸間
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近江木戸駅は湖西線志賀駅の位置にあった。
江若線路をすべて利用してないので、湖西線と江若線路跡が離れるところがある。

20210528zd_青柳が浜−近江木戸.jpg
青柳が浜−近江木戸間は左下道路が江若線路跡になる。

このあとは建物が増えてきて、雄琴付近ではトンネルにも入るので、撮影をとりやめました。新快速ではなく、普通電車で一駅ずつ確認しながら観察すれば、もう少し撮れそうなところがあると思われます。

2021年05月31日 23:00 | コメント(0) | 実物鉄道一般