2025年02月04日

江若鉄道キハ5124

江若鉄道の写真6回目です。 2月4日なので5124です。

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昭和43年1968年8月18日撮影 近江舞子南口駅
キハ5124−キハ5120−キハ5123の3連です。
サボが2段表示になっており、白地の部分は「快速」かもしれません。

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C29M形 キハ5124
日野DA59-A2 液体式変速 昭和12年1937年 川崎車輌

国鉄キハ07形0724号で昭和39年1964年に払い下げを受けています。
昭和40年1965年に総括制御・自動ドア・前面貫通式に改造、07形の特徴である半丸形6枚窓の前面が削られて角形となり乗務員扉が設置されました。元の07形の印象は窓配置に残っています。

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キハ5124は昭和44年1969年の江若鉄道廃止後、加越能鉄道へ売却され、キハ162として活躍しました。
昭和47年1972年5月19日撮影 荘川町 訪問したときは車庫に入っていました。

1973年加越能鉄道廃止後、関東鉄道でキハ551となりました。結果的に江若の総括制御編成は6両とも関東鉄道へ集結しました。



2025年02月04日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2025年02月03日

江若鉄道キハ5123

江若鉄道の写真5回目です。 2月3日なので5123です。

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昭和42年1967年1月15日撮影 三井寺下駅
キハ5121−ハ5010−キハ5123の3連です。

C25M形 キハ5123
振興DMH17B 液体式変速 昭和6年1931年 川崎車輌

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昭和6年川崎車輌でキニ6として新製、キニ4と同タイプですが初めから前面3枚窓でした。18m級の大型気動車でウォーケシャ6RBガソリン機関を搭載して登場しましたが、昭和25年1950年にDMH17を搭載しています。
昭和40年1965年に改造され、総括制御・貫通扉・自動ドア・シールドビーム2灯などを整備しました。
5120-5123-5124の編成で使用されることが多く、この日の5121-5010-5123の編成は珍しいものです。

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先ほどの営業列車は浜大津で折返し、回送列車で三井寺下に到着。本線上で停車して係員が乗り込んでいきます。

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キハ5123は昭和44年1969年の江若鉄道廃止後、関東鉄道へ売却され、キハ530形531号として竜ヶ崎線で活躍しました。関東鉄道では1977年に車体新造、両運のため昼間閑散時間帯の単行などに使われました。2001年に廃車されています。製造から70年でした。
平成2年1990年8月4日 関東鉄道竜ヶ崎

2025年02月03日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2025年02月01日

江若鉄道キハ5121

江若鉄道の写真4回目です。 2月1日なので5121を出すことにしました。

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昭和42年1967年1月15日撮影 三井寺下駅
キハ5121−ハ5010−キハ5123の3連がやってきました。
近江今津側は本来キハ5122ですが、なぜか5123をつないでいました。

C28SM形 キハ5121
振興DMH17B 液体式変速 昭和12年1937年 日本車輌

元国鉄キハ42054で車体のみを購入し自社整備の上、昭和28年1953年からキハ18として使用を始めました。
昭和35年1960年にTC2形液体変速機を取り付けています。
その後、昭和41年1966年に車体改造し、DTDの固定編成用として近江今津側運転台を撤去、切妻に改造しています。
総括制御・自動ドアを装備して編成単位の運用についていました。

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PicWish というサイトの無料カラー化を使ってみました。VanceAIよりも良い仕上がりのように感じます。
この3連編成は撮影をしていますが、残念ながら乗車したことないのです。
キハ5121の改造前種車であるキハ18ですが、北饗庭横転事故に遭っているのではないかと思われます。しかし、この事故については江若鉄道解説本ではあまり書かれていないようです。

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キハ5121は昭和44年1969年の江若鉄道廃止後、関東鉄道へ売却され、キハ520形521号として竜ヶ崎線で活躍しました。関東鉄道では1975年に車体新造、TR29台車のまま22年使われて1997年に廃車されています。製造から60年でした。
平成2年1990年8月4日 関東鉄道竜ヶ崎

2025年02月01日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2025年01月29日

江若鉄道キニ13

江若鉄道の写真3回目です。

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1964年の撮影ですが月日はわかりません。浜大津駅の続きなので同じ日に撮っていると思われます。
北側の貨物ホームから近江今津行き列車を撮っています。
車両半分だけですが、どうしてこうなったのかはわからないのです。

C9形 キニ13
振興DMH17B 機械式4段変速 昭和12年(1937)日本車輌
日車流線形気動車と呼ばれています。

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排気管が浜大津側湖寄隅の妻面外側に取り付けられ、屋根上で排気するようになっています。これが画面中央に来ているので、排気管をねらって撮影したのかもしれません。
機関はGMF13形ガソリン機関で登場、その後昭和27年(1952)にDMH17機関に取替えています。

昭和44年(1969)の江若鉄道廃止後、岡山臨港鉄道へ転出しました。
タグ:江若鉄道
2025年01月29日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2025年01月28日

江若鉄道浜大津駅

江若鉄道の写真2回目です。

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1964年の撮影ですが月日はわかりません。
北側から駅舎ホーム方向を撮影しています。
明治13年1880年に官設鉄道東海道線の駅として開業した歴史ある駅でした。
細かい変遷などは書きませんが、撮影している地点はびわ湖岸の石積み堤防だったところです。
右側には石炭ガラ?が積み上げられているようです。
わら縄でくくられた荷物?も積み上げられています。
右遠方の屋根は国鉄の貨物扱い駅です。
歴史上から、ほぼ全体は国鉄用地であり、江若鉄道は旅客ホーム西端(写真で奥の方向)に境界があったようです。
左側(南側)の線路は大津電車軌道が敷設したのち京阪電鉄石山坂本線となっています。

VanceAIというサイトでカラー化してみました。
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あまりハッキリとした色はつかなかったですが、京阪電車260形の黄色と赤色くらいはわかるかなぁ。

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江若鉄道のホーム部分を大きくしてみました。
二階建て駅舎に重なっていますが、ホーム上に腕木信号機が建っているのが大きな特徴です。
線路を左方向(東)へたどると、東海道線開業時からの歴史を背負った三線区間を通って国鉄膳所駅へ通じています。昭和22年1947年から昭和40年1965年まで、江若鉄道の旅客列車が膳所駅まで乗り入れていました。膳所駅経由での連絡きっぷも発売されていましたが、乗入れ本数は少なく、浜大津駅で京阪に乗り換える客がほとんどで、乗入れ列車で膳所駅まで利用した客は少なかったようです。
その乗入れ列車を膳所駅方向へ出発させるときの信号機がホーム途中に建っているのです。

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色を付けてみました。
江若側貨物ホームにはワム90000でしょうか、それと江若ワフが連結されて留め置かれています。
旅客ホームからは列車が三井寺下駅方向へ出発していくところですが、面白い編成ですね。
後部はキハ07系の車両ですがライト1灯なので未改造車、となりは改造客車のオハ1900系のようです。右側の車両は貨車と被ってしまってよくわからないです。

当時は小学生だったので、ピントがあっているのかどうかもいい加減な不鮮明な写真で申し訳ないところです。

タグ:江若鉄道
2025年01月28日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2025年01月16日

キ116

久し振りに日付遊びネタです。

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新潟交通 キ116 東関屋 1988年8月20日
ラッセルの左の置いてある車輪は10本スポークですね。

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新潟交通電車線は1999年4月に廃止となりましたが、かぼちゃ電車保存会によって、月潟駅でモワ51、モハ11とともに保存されています。
後ろの台車はTR20で輪軸は長軸かな。スポークは8本か。
2025年01月16日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2025年01月12日

江若鉄道安曇川駅

1月11日土曜日、所属クラブの NetMeeting 、第266回です。
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乾杯のすぐあとで入室する人が多いのです。


ご要望がありましたので、江若鉄道の写真をXに掲載することにします。
Webページには2008年に掲載しているので未公開写真ではないのですが、探しに来る人も少ないので初見の方も居られるでしょうね。

江若車輌は車輛番号が2〜24の二桁で終わっているので、年号と車輛番号を重ねている年賀状画像によく使っているのですが、SNSにはあまり出していないかもしれません。年賀状を出しているお相手様には同じ趣味の人が少ないので、「何か毎年電車やな」程度で、あまり良くわからない画像だろうと推察されます。まあ自己満足というところです。

撮影順に掲載しますが、初期は月日不明が多いです。
4800dpiでフイルムをスキャンしたもの、横1920dotの画像にしています。

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自分が撮影した最初の江若鉄道写真です。
1963年の撮影ですが、月日はわかりません。
安曇川駅の駅舎横の柵のスキマから撮っていると思われます。
左が近江今津側、右が浜大津側、右手が山側、左手が湖側です。
島式ホームで短い上屋の下に待合室があります。
上屋のヒサシが国鉄京都駅のようなデザインになっています。
上下本線の外側に貨物側線があります。
周辺をボンネット車に囲まれていますが、左は山本工業所というところでノザワセメントを扱っていました。
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右方向西側は、江若バスの車庫なのか駐車場なのか、ボンネットバスの宝庫です。
手前右には信号機の取扱てこがあります。
本線の分岐は発条転轍機スプリングポイントなので転轍てこはありません。

VanceAIというサイトでカラー化してみました。
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全体がオレンジっぽくなったので調整してみました。しかし、電柱の外灯が点灯しているので、夕方の光線だったのかもしれません。

このときのネガには、この2枚だけ江若鉄道関連を撮っています。
列車が来るのを待つこともなく、撮れる機会があったので撮ってみた、という感じです。

タグ:江若鉄道
2025年01月12日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2024年10月04日

日立電鉄1004

久し振りに日付遊びネタです。

モハ1004_日立_鮎川_19880823_img_0007.jpg
 1998年8月23日 鮎川
元は小田急モハ1形ということです。

タグ:日付ネタ
2024年10月04日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2024年06月05日

キハ605

日付遊びネタの6月系、叡電も多くなりがちなので、別のを出してきました。

現在は岐阜県羽島市のかみなり村に保存されているキハ605です。
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1994年8月22日撮影 紀伊御坊駅側線
列車内から撮影していたようです。

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1995年3月15日撮影 紀伊御坊駅側線

岡山臨港鉄道で現役営業していました。
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1983年5月24日撮影 南岡山機関区

DA55エンジンの走行サウンドをどうぞ

2024年06月05日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから

2024年06月04日

604二題

日付け遊びネタ続き、京阪大津線の600形写真が多めにあるので、それに頼りがちですが、京阪でない604号を出してきました。

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叡山電鉄 デオ604号 修学院車庫内
1987年3月28日撮影
事務所で記名すれば車庫内撮影可能な頃でした。

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紀州鉄道 キハ604号 日高川
1983年8月23日撮影
元大分交通耶馬溪線の気動車で1975年に譲り受けた。

耶馬溪線の写真探し出してきました。
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大分交通耶馬溪線 キハ604号 中津
1973年8月30日撮影
動いていたのは「せきれい」号で、キハ604は車庫の中でした。

2024年06月04日 23:00 | コメント(0) | 古いネガから