2008年03月18日

トロリーホイールです

ポール電車の続きですが、前日の写真ではスライダーのようにも見えるというコメントをいただきました。で、当日デナ21の連結部分のポールを撮影していたので、ちょっと掲載してみました。

20080318a.jpg
デナ21形2連   市原駅

他の形式はどうだったか、写真がないのでわかりません。
京阪京津線がパンタを使い始めたのは1970年8月23日ということで、1971年の時点では京阪の中古ポールが京福に来ていると思われますが、まだ交換はしていなかったということでしょうね。
2008年03月18日 23:10 | コメント(0) | 叡電

2008年03月17日

ポール電車の連結運転時のポールについて

なんだかややこしいタイトルで、しかも古い話で恐縮です。1971年のネガに京福電鉄鞍馬線の撮影がありました。デナ21形が主力でがんばっていましたが、ここの話は2両連結の時のポールの上げ方についてです。

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 この写真は鞍馬行き電車が宝ヶ池に到着する前です。デナ21+22と思われますが、出町柳側デナ22のポールだけが上げられており、デナ21は母線引き通しから電気をもらっていると思われます。

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 これは二軒茶屋〜市原間で鞍馬行き電車のバックショットです。番号はわかりませんが、一つ前のコマでこの電車を撮っており鞍馬側が126号のようです。この編成では2両ともポールを上げています。
 この写真から推察すると、鞍馬行きの電車は宝ヶ池〜二軒茶屋間のどこかの駅で、鞍馬側車輛のポールを上げる作業をしていたということのようです。勾配がきつくなるのは二軒茶屋から鞍馬への区間ですが、集電容量を増やすため2本ともあげていたのでしょうか。車掌は二人乗務していたのか、一人で前側車輛のポールを上げに行っていたのか。いや、車掌のポール操作なしで走るのは、はずれたとき危険なような気がします。よく見ると1両目の車掌らしき人が見えますね。
同じような勾配区間をポールで走っていた京阪京津線では、2両連結の後部側だけのポールで運行していました。
こんな昔のことご存じの方は少ないかと思いますが、叡電について詳しい方のコメントいただけたらありがたいです。
 
2008年03月17日 23:42 | コメント(5) | 叡電

2007年08月18日

今日は地蔵盆

ということで、近所の公園にあるお地蔵さんの飾り付けや櫓や屋台などが準備されていました。引っ越したばかりで当番でもないので、遠巻きに眺めていただけですが…。
さて、昨日の叡電撮影会の写真から少し掲載してみます。

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高野川鉄橋を渡る802+852です。パンタを2つとも空へ抜きたかったのですが、後ろが架線柱にかかりました。実は、すぐ左に電柱が立っていて、これ以上左に寄せられませんでした。

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宝ヶ池駅近くの田園風景です。鞍馬線と叡山線がわかれていくところにあります。稲穂と電車と青空が一体になったような風景。

 

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宝ヶ池2・3番線ホームの上屋を支える鋼材に、こんな遺構?がありました。旧駅名の山端(やまばな)のひらがなと宝ヶ池の漢字が重なって書かれています。鋼材に直接、駅名を書いていたようですが、時代を経て旧駅名が出てきたようです。

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2007年08月18日 23:30 | コメント(0) | 叡電