それによりますと、車輛は奈良線の白浜行き急行の間合い運用で向日町(梅小路)所属車、そして山陰本線の急行は福知山、豊岡持ちで日帰り運用だったという情報をいただきました。
この情報をもとに、もう一度調べてみることしました。列車時刻は1971年8月号交通公社時刻表です。
撮影当時奈良線の白浜行き急行だと、「しらはま」となりますので調べてみると、511D京都9:25発でG車付き編成なので、126Dで京都着8:01ですから間合いで通勤運用の仕事しても急行運用に就けそうです。これで決まりか、と思って「しらはま」の編成を調べてみました。当時の時刻表には紀勢線系の「紀州」や「きのくに」は掲載されていますが、奈良・櫻井・和歌山線のローカル急行「しらはま」の編成表は掲載されていません。
そこで編成表が出ているARC資料館を巡って探り当てました。
背景色を少し調整しています。昭和45年1970年10月改正のデータです。
運行全区間の編成が書かれているので長くなっていますが、下り511D「しらはま1号」京都発車時の編成は キハ−キロ−キハ−キハの4両編成です。
そこでもう一度、自分の撮影した京都−回送−亀岡−126D−京都の写真を確認します。
亀岡行 回送 左が亀岡、右が京都 京都から2両目がキロ28
霧に隠れて見にくいですが、左奥の方を見ると6両以上の長編成のようです。
京都行126D 左が京都、右が亀岡 亀岡側から2両目にキロ28
やはり編成長は5両以上あるようです。
そうなると126Dはキロ28が2両組み込まれた編成であり、しかも時刻表には普通列車Gマークはないので、G営業なしの締め切りか、または解放かどちらかでしょう。
511D急行「しらはま」にキロ2両ということはなさそうなので、「しらはま」編成ともう一つ別の急行編成を連結して朝に運用していたという可能性が考えられます。そうなると、間合い運用をこなしてから梅小路へ戻り、急行編成の分割作業を行って4連で「しらはま」運用となります。けっこう面倒ですね。
この場合編成相手は何か、「平安」あたりかと思いましたが、名古屋持ちでキロはありません。
ここで「しらはま」にこだわらず京都発の気動車急行でキロ2両を編成したものがあるか調べてみました。山陰本線京都口の急行「丹後」はいずれもキロ1両の編成なので、「丹後」の間合いでは無いことは確実です。京都からの気動車急行では草津・関西線系の列車がありますので、「志摩」「くまの」あたりを調べてみます。
ARC資料館から「志摩・くまの」の編成です。運行全区間の編成になっていますが、京都−亀山間はキロ2両の7両編成になっています。
キハ−キロ−キハ−キハ+キハ−キロ−キハ →京都
左4連が「くまの」紀伊勝浦行き、右3連が「志摩2号」鳥羽行きです。
この編成ならまるごとそのままで写真と一致すると考えて良さそうです。時間的には下り713Dが京都17:49着で翌日上り714Dが京都12:55発ですから、余裕で間合いの通勤運用に入ることができそうです。
そんなわけで、126Dの正体はこれで解決ということにしましょう。
で、この「くまの」+「志摩2号」ですが、亀山で名古屋からの紀伊田辺行き急行4連を連結し、「紀州3号」+「くまの」+「志摩2号」で多気まで走ります。急行気動車でキロ3両11連、模型でやってみたくなります。
探索のヒントになるコメントをいただき感謝です。