2020年04月08日

追分から大谷へ

4月6日、京阪京津線の続きです。
東海道を追分から大谷まで歩いてみました。天気が良くて暖かい、というか暑いくらいです。

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街道の東海道も、官設鉄道東海道線も、京津電気軌道も、この谷間を通ります。1912年大正元年、東海道路上に併用軌道でしかれていた京津電気軌道は、1925年大正14年2月京阪電気鉄道に合併、京阪京津線となります。1932年昭和7年、国道1号線(京津国道)の改良にともない、道路と分離して専用軌道となります。東海道線は大正10年に新逢坂山トンネルの方へ移行しますので、蒸機列車と並んで走っていたのは9年間くらい、京津電気軌道で東海道併用軌道時代となります。


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東海道線は25‰勾配ですが谷間の中へ向かっていき、京津線は40‰勾配でまだ登り続け、関所跡付近で最高地点となり、京津線の逢坂山トンネルへ入りります。大正10年から長く放置となった旧東海道線跡は、その路盤跡を利用して昭和37年名神高速道路が開通しました。

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原色編成が勾配を登っていきます。 801F びわ湖浜大津行

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回生ブレーキの定速制御で勾配を下ります。 813F 太秦天神川行

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この区間には名神をくぐって山側へ行くための踏切があります。名神に埋もれた旧東海道線路盤跡に出会えるかも。上から写真を見ると向こう側には何もないようです。

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名神高速はまだ京津線の上になっていますが、旧東海道線の路盤は谷の方へ入って行ってたようです。

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もう一つ踏切があって、名神の向こう側へ行けます。上から写真を見ると墓地があるようなので、ここには押しボタン式歩行者信号付き横断歩道があります。

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このあたりの谷の下に旧東海道線大谷駅がありました。

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大谷町の集落へ入ってきました。街道の東海道は歩道橋左の方へ向かっています。

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歩道橋途中から撮影。踏切の向こうの道が街道の旧東海道です。この踏切から右側に京津線旧大谷駅がありました。ホーム長さが短くて800系4両編成は止まれない、曲線と踏切のため延長も困難、ということで浜大津側へ移設されています。

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歩道橋上から。ガードレールのところが京津線旧大谷駅跡です。現大谷駅は桜の中に見える右側になります。

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旧大谷駅跡を通って大谷駅へ入る800系びわ湖浜大津行 811F

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大谷駅で新色811F と 原色801F が並びました。

今回の掲載はここまで。
2020年04月08日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年04月07日

追分探索

京阪京津線の続きです。
まだ時間があったので、このあと東海道探索と大谷駅まで歩いてみました。

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追分踏切横の歩道橋からです。上は現在名神高速道路ですが、大正10年までは東海道線の線路が通っていました。開業時は交差部から大谷まで東海道の路面上を走っていました。

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国道1号線の方へ出てきました。
京津線と東海道が地上、その上を行く名神高速=旧東海道線です。

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もう少し先まで歩道があるのですが、通行止めになっています。

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フェンスから立体交差部を撮影。名神の下の石垣は旧東海道線のものかどうかはわかりません。しかし、京津線を跨いでいたことには間違いないので、中身の盛り土は旧東海道線の路盤、と勝手に推察して納得しておきます。

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歩道橋の上から撮影。旧東海道線は明治12年8月に京都ー大谷間が開業、その時点で街道東海道を跨いでいますので、立体交差の築堤や橋梁が造られたものと思われます。その後、大正元年に京津電気軌道が開業、交差部の付近から東海道路上を併用軌道で大谷へ向かっていました。

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さて、左へ横道にそれて…ではなく、旧東海道の街道へ入ってみます。

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すぐに勾配にかかります。案外、急な坂道です。

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京都府と滋賀県の県境です。このあたり、四宮−追分は境が入り組んでいます。

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京都側へ進むと分岐が見えてきます。「追分」です。

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分岐の石標があります。解説板もあります。

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歴史に刻まれた街道(追分)
この地は江戸時代より東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点にあたり、馬子が馬を追い分けることからその名前の由来となっています。

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ちょっと寄り道しすぎました。京津線へ戻ることにしましょう。
旧東海道線をくぐります。

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逢坂山の谷間へ入っていきます。左の名神高速が旧東海道線跡ですが、下り勾配のように見えてしまいます。京津線は40‰で旧東海道線は25‰なので、両方とも上り勾配ですが途中から上下が逆転します。

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大谷への勾配区間を歩きましょう。国道1号線ですが自動車はそれほど多くないです。信号の関係のあるのか、このように途切れることもあります。

今回の掲載はここまで。
2020年04月07日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年04月06日

初めての追分駅

エコーモデルのボンネットバス続きです。

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ボンネットバスのシートを塗り替えました。
緑色系のプラ用塗料がたくさんあるのですが、どれもダークグリーン系なので、比較的鮮やか系のこれを使ってみました。

山科に用事があったので、出かけたついでに追分駅まで京津線電車に乗ってみました。
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京阪山科駅で電車待ち。これは太秦天神川行 813F

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乗る電車がやってきた。

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四宮駅 原色塗装編成803Fは車庫でお休み。801Fが走っているか?

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四宮駅を出発。

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追分駅に降り立つ。
幼少期から京津線を利用しているけど追分駅に降りるのは初めて。

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ホームの長さが4連ぴったりで余裕は全くない。

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お見送り〜

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駅観察してたら原色塗装編成がやってきた。太秦天神川行801F
電車先頭のあたりで勾配が変化してます。向こう大津側は38.8‰で手前京都側は10‰です。

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追分駅構内はホーム途中で勾配が変化してます。

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改札を出ることにします。無人駅ですがカード対応。きっぷは集札箱へ。

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追分駅構内は10‰勾配です。

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大津側は38.8‰です。

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追分駅は開業時から位置が変更されています。京津電気軌道の開業時の駅は、むこうの踏切あたりにありました。昭和54年1979年、西大津バイパスの整備にともなって、北へ15m線路移設と追分駅を現在地へ283m西へ移動が行われています。

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びわ湖浜大津行きの来る時間です。
追分踏切横の寺院、攝取院の桜を入れてみました。816F

まだ時間があったので、このあと東海道探索と大谷駅まで歩いてみました。
今回の掲載はここまで。
2020年04月06日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年03月23日

逢坂山越え

3月21日の帰り、まだ明るいうちに京津線の先頭に乗れたので山越えを撮影。

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浜大津駅を出発、左へ進路をとります。 半径40mくらい?

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東海道の路上を南へ登っていく。勾配票がない?ので何パーミルくらいかわからない。

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路上から西へ逸れて専用軌道へ。

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JR東海道本線の上を走る。原色編成とすれ違った。

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この付近左側に上関寺駅下り線ホームがあった。

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東海道を東へ渡って、旧東海道線築堤跡を通って右へ。

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南へ向きを変えて61パーミルで登ります。
昭和25年1950年国道1号線工事のため若干東側(左)方向へ移設された。平成25年2013年台風による土砂流入被害のため線路は修復されバラストが新しい。

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名神高速の下を行く。この付近40パーミル前後。

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この先で一旦水平になります。この先で右へ曲がって逢坂山トンネルへ。

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制限20km/hでほぼ直角に曲がりトンネルに入る。

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トンネル内は登り勾配。出たところが京津線逢坂山越えの頂上です。


2020年03月23日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年03月11日

バスと電車

少しお出かけしてきました。官鉄旧東海道線沿いを走る京阪バスで見学です。

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ポストに日本鉄道模型の会のハガキを入れてから、#86大宅行の到着を待ちます。

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大宅の京阪バス車庫 #21小山経由山科駅行に乗り換えます。

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名神高速に沿って、明治時代の官鉄旧東海道線跡を走ります。

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鉄道時代は25‰勾配でした。この付近に大塚信号場があったらしい。
前の急勾配は東海道新幹線を乗り越すところ。

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新幹線を越すところです。残念!何も通らない。

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このあたりの旧東海道線は、名神の路盤になってしまいました。

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コンビニがわりと多いです。

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山科 小山バス停 名神京都東ICの下です。

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洛和会音羽病院の前を通って、国道1号線へ入ります。

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国道1号線 ジョーシン山科店

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東野交差点を曲がって山科駅方向へ。

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山科駅バスターミナルへ入ります。 バス旅はここで終了。
まだ時間があるので京津線電車を撮影しました。

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太秦天神川行 807F 京阪山科−四宮

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びわ湖浜大津行 816F 京阪山科−四宮

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十禅寺踏切から四宮駅を見ると電車がきました。

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太秦天神川行 811F 京阪山科−四宮

山科駅へ戻ることにして、原色塗装がこないかなぁ…と期待

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キター! びわ湖浜大津行 804F 京阪山科−四宮

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四宮駅へ進入 びわ湖浜大津行 803F 京阪山科−四宮

乗車記録
御霊ヶ下町9:46京阪バス#86か3121大宅
大宅10:30京阪バス#21か2440山科駅
山科11:50地下鉄東西線5103醍醐
2020年03月11日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年03月05日

麒麟電車が来た

びわ湖鉄道歴史研究会へ参加しました。会場は大津市生涯学習センターです。

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急に暴風雨になったり、晴れたりの変わりやすい天気でしたが、JRはダイヤ通り動いていました。

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754T 快速 野洲行 の先頭車に乗りました。

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中継進行! 信号機は右端です

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逢坂山トンネルに突入!

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トンネル内 閉塞信号機

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大津駅到着 雨が降ってきました。

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膳所駅で下車して石坂線に乗り換え おおっ!「麒麟がくる」ラッピング編成が来ました。

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後ろが空いていたので電流計などを見ましょう。
マスコンは70km/hまでの5km/hきざみで速度指令ノッチになっています。
膳所本町駅出発 起動して力行電流が流れます。

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60km/h指令で走行中。主回路を切って惰行するのではなく、界磁位相制御で電流を微調整して定速走行します。

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ノッチを戻すと、その速度まで回生ブレーキが効きます。
錦駅に停車するので、ノッチを戻しながら速度を下げていきます。停車寸前で回生ブレーキが効かなくなったら、ブレーキ弁で空気ブレーキをかけて停車します。
オフの逆にあるBノッチは何だろう?? 発電ブレーキかな?

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609−610 膳所本町−中ノ庄

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帰りに旧塗装車に出会いました。 びわ湖浜大津 709−710

乗車記録
醍醐12:04東西線5514山科
山科12:27快速754Tクモハ223-2103膳所
京阪膳所12:40石坂線609膳所本町
膳所本町17:07石坂線612びわ湖浜大津
びわ湖浜大津17:19京津線806京阪山科
山科17:38東西線5213醍醐

2020年03月05日 23:00 | コメント(2) | 京阪

2020年03月03日

東海道をくぐる4

京阪電車京津線の線路変遷を地図でたどってみます。

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明治42年測圖 大正元年8月25日発行
1/20000 京都南部、膳所、 今昔マップ on the web より
京津電気軌道建設中の発行ですが、測圖が古いので建設中線路は書かれていません。官設東海道線は南回り大塚経由で、逢坂山は旧トンネルです。

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大正8年6月30日発行 1/200,000 京都及大阪 作者所有紙地図
京津電気軌道は大正元年に三条大橋−札ノ辻を開業しました。三条大橋−御陵、追分−大谷西側、逢坂山トンネル東側−上関寺、長等公園下−札ノ辻は東海道との併用軌道です。官設東海道線はまだ南回りです。

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大正11年測圖 大正14年10月30日発行
1/25000 京都東南部  今昔マップ on the web より
東海道線の25‰急勾配緩和のため、新たに東山トンネルと新逢坂山トンネルがつくられ、大正10年に新線へ切り替え、南回りの旧線は放置となりました。それでも10‰勾配となって、東山から山科の大築堤を蒸機が行き交うシーンが展開されました。その大築堤の山科側付近で、京津線との影響があるため、京津線線路を付け替えて築堤の北側へ持って行き、Sカーブで東海道線をくぐる形になりました。

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現在の上からの写真をお借りします。

2020年03月03日 21:00 | コメント(0) | 京阪

2020年02月28日

東海道線をくぐる3

2月25日の京津線沿線歩きの続きです。

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JRトンネル道踏切から地下線へ向かう800系です。

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東海道に戻って西へ向かいます。三条通りと合流します。

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東海道線をくぐります。

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右側2線が上り線、左側2線が下り線です。時期によって桁も異なるようです。

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セブンイレブンのあたりが地上時代の線路跡です。

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フェンスの内側付近が旧線跡です。

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旧地上線時代は三条通りを踏切で斜めに通っていました。

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旧線路跡は整備されて「陵ヶ岡 みどりの径」となっています。関所のような門は整備時に建てられたものと思われます。線路があったときは門はありません。

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「陵ヶ岡 みどりの径」へ入って振り返ると地上時代のルートがわかります。

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周辺案内図が設置されています。地形に合わせているので南北が逆になっています。

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案内板の図に、この付近の線路変化を書き込んでみました。
黄色が江戸時代からの街道の東海道です。
大正元年、京津電気軌道が開業、ルートは青色破線です。旧東海道線はまだ伏見経由です。したがって左端の東海道線をくぐるSカーブはなくて、街道東海道の路面を走っていたと思われます。大正10年東海道線の大築堤ができるので、京津線の線路を移動、オレンジ色のルートになり東海道線築堤を左端Sカーブでくぐるようになりました。

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「陵ヶ岡 みどりの径」へ入って御陵駅方向へ進みます。

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枕木を使った遊具?があります。おそらく京津線のものと思われますが、由来を書いた掲示板などはないので確証はありません。

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地上時代の御陵駅跡に出ました。縁石から緑の付近に浜大津行ホームがありました。

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こちらは三条行ホーム跡です。この道はさんで互い違いの位置にホームがありました。

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整備のいわれを書いたものがあります。

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線路があった時代には、左の樹木はないですね。

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線路はこのあたりから三条通の路面へ出ていました。

そのまま歩いて地下鉄御陵駅へ。だいぶ歩いたような気がしましたが、それでも1万1千歩でした。
2020年02月28日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年02月27日

東海道線をくぐる2

突然の全国休校要請に驚いています。自分はもう現場から離れたので、直接の影響はないのですが、二男の嫁が大阪で高校の非常勤講師をしているので、どんな対応になるのか気になるところです。
3月21日〜22日の池袋鉄道模型芸術祭に出展予定をしていますが、情勢は微妙です。
芸術祭に出展予定の成城中・高校はどうするのかなぁ。春休みまで休校ですから、3月中は子どもたちの活動もできないでしょう。
お子さまに人気のLゲージとかも出展してますが、子ども連れで会場へ来る人も少なくなる気がします。

さて2月25日の京津線沿線歩きの続きです。

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大正元年、京津電気軌道として三条大橋−札ノ辻間を開業した時には、東海道線は伏見回りの経路でした。このSカーブもありませんでした。そのまま東海道に沿って西へ向かって線路があったようです。


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線路跡はもうわかりませんが、それらしき所をたどって東海道へ戻ります。

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左側が東海道です。少し西へ向かい、路地を北へ曲がります。

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東海道線をくぐるトンネルがあります。

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むこうに京津線の踏切が見えます。レンガは、ねじりまんぼではありません。

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トンネルを出た踏切です。

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踏切名がそのままw 元は国鉄トンネル道だったのかなぁ??

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電車が来ました 太秦天神川行 800系 京阪山科−御陵
JR線列車とは出合いません。

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汽笛の音がしたので上を見ると、赤い機関車がコキを1両だけ牽いて行きました。

続く



2020年02月27日 23:00 | コメント(0) | 京阪

2020年02月25日

東海道線をくぐる1

所用でJR山科駅へ出かけましたので、周辺を少し歩いてみました。東海道に沿って西へ行くと、京阪電車京津線が東海道線をくぐるところへ行くことができます。

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JR山科駅前ビルの下に設置の 「旧東海道」 標識
西方向(左)の方へ歩いて行きます。

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安祥寺道へ入ります。

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京津線 安祥寺川橋梁。
安祥寺道は東海道線をくぐって向こうの山へ続きます、というか大正期に盛土高架で線路を作ったものです。

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安祥寺川橋梁にさしかかる京阪800系 びわ湖浜大津行

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踏切から京阪山科駅を遠望

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東海道へ戻って、さらに西へ。 五条別れの石標史跡

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狭い道を線路方向へ入ると、この場所へ出ます。
フェンスにわずかのすきまがあるので、そこからこの角度で撮影可能。

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Sカーブで東海道線をくぐる 京津線 800系4連 びわ湖浜大津行
京津線電車とJR列車をツーショットで捉えるのは機会が少ないようです。

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古地図で確認。明治42年測圖大正元年8月発行1:20000膳所
東海道線は南回り大宅経由、京津電軌は未開通の頃   右は現在の地図

御陵まで歩きましたが、とりあえず掲載はここまで。

乗車記録
醍醐10:49東西線5509山科
御陵14:02東西線5415醍醐

2020年02月25日 23:00 | コメント(0) | 京阪